歴史をたどるー小国の宿命(58)

安徳天皇とともに平氏が西国へ逃れたため、後白河法皇は、1183年に、安徳天皇の異母弟であり、自分の孫にあたる後鳥羽天皇を即位させた。

第82代の後鳥羽天皇が即位したことで、世の中には天皇が2人存在することになった。

この状況は、安徳天皇が1185年の壇ノ浦の戦いで入水して亡くなるまで2年にわたって続いた。

後鳥羽天皇は、即位したとき、まだ3才だった。

さて、この2年間は、頼朝と義経の兄弟、そして従兄弟の義仲の争いに加えて、平氏がいよいよ最期を迎えるという、平安時代末期のクライマックスにあたる。

振り返れば、平安時代は平氏の祖先にあたる第50代の桓武天皇が、794年に平安京に遷都してから始まった。

約400年の間に、菅原道真、平将門、崇徳天皇の怨霊伝説があり、藤原道長の栄華に代表されるように、藤原氏の活躍もあった。

最後は、平清盛が病没して平氏は一気に衰退し、源氏の勢力に圧倒されていく。

源氏は源氏で内部抗争が起こり、義仲がまず戦いに負けて討ち死にする。

義経が頼朝に追われ、最終的に頼朝が鎌倉幕府を樹立する。

後白河法皇は、それを見届けるかのように、1192年に病気で亡くなった。66才だった。

28才で天皇になり、31才で上皇となった平安時代最後の権力者は、実に35年間も院政を行っていたのである。



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