現代版・徒然草【81】(第81段・インテリア)

家の中をお洒落な感じにしようと、インテリアを工夫する人はいるだろう。

ただ、近年は、線状降水帯がもたらす水害や思いがけない地震などで、せっかくの装飾品が台無しになる話も聞くようになった。

ほどほどにしておけばメンタル面でもそこまで落ち込まないが、やはりなんでも着飾りたいタイプの人は、やめられないのだろう。

では、原文を読んでみよう。

①屏風・障子などの、絵も文字もかたくななる筆様して書きたるが、見にくきよりも、宿の主(あるじ)のつたなく覚ゆるなり。 

②大方(おおかた)、持てる調度にても、心劣りせらるゝ事はありぬべし。

③さのみよき物を持つべしとにもあらず。

④損ぜざらんためとて、品なく、見にくきさまにしなし、珍しからんとて、用なきことどもし添へ、わづらはしく好みなせるをいふなり。

⑤古めかしきやうにて、いたくことことしからず、費(つい)えもなくて、物がらのよきがよきなり。

以上である。

①の文で分かるように、当時は、住人が自分で屏風やふすまに絵や文字を書き入れていたようだが、その絵や文字がそれほど上手くないというのを通り越して、その住人の美的センスがなくて失笑ものだという。

こういうのは、いろんな人と関わっていると、あるあるネタである。

②の文で指摘されているが、家具や置き物などの調度品についても同じことがいえる。

③では、良い物を持っていればよいというものではないと兼好法師は言っている。

④では、傷がつかないように変に手を加えたり、もう少し目立たせようと不要なことをしてかえって見栄えを悪くしたりするのがよくないと言っている。

⑤では、古風な感じであり、地味でそんなにお金もかかっていなくて、品質がしっかりしたものであれば良いのだと締めくくっている。

高級感があるのが良いからと言って、それを室内空間に持ち込めば、やはり場違いというか、周りの装飾品とのバランスがおかしくなる。

その部屋にはこれしか置かないという1点ものであれば、そういったアンバランスさはなく、人を部屋に招き入れても、良いものをお持ちですねという印象を持ってもらえる。

冒頭の文にもあった障子やふすまにしても、あえて絵や文字を書き入れずに、しっかりとした生産者から購入した障子であれば、無地でも価値あるものとして受け入れられるということなのだ。





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