デルタ株との戦い《第18章》
見えない敵との戦いは、ときに人々を混乱状態に陥らせる。
あるいは、見えていないからこそ、人々の気が緩み、知らないうちに予想だにしない症状に苦しむのかもしれない。
もし目の前で、次々と人々が見えないウイルスにやられてバタバタ倒れていったら、それは恐怖を感じるだろうし、パニックになって逃げ惑うだろう。
サーモカメラで熱を帯びた動物や人間の存在があぶり出されるように、無数のウイルスの存在が可視化できる眼鏡が開発されたら、私たちは、どんな行動をとるのだろうか。
モデルナワクチンに異物が混入していたことが判明し、すでにワクチンを打ってしまった人のなかには、自分の体内でいつ悪影響が及ぶか不安になっている人もいる。
国のコロナ対策を批判している割には、しっかり国の思惑どおりにワクチンを打ってしまっているという事実に気がついた人は、結局のところ、ワクチンにすがってしまっているのである。
3回目の接種が日本でも検討されているが、もう打つのはやめておこうとか、これまで打たなかったように今度も打たないことにしたとか、さまざまな人が自分なりの意思を再確認するときに来ている。
ラムダ株がすでに国内にじわじわ広がりつつあるとしたら、もはや今のワクチンは本当にこれからも有効なのかどうかすら疑わしくなってくる。
大量生産されるものには、必ず欠陥品が紛れているものである。
はずれくじを引いて後悔するくらいなら、むしろワクチンなしでも完璧な感染予防策を講じて、堂々とデルタ株に立ち向かって負けるほうがまだ受け入れることができる。
私は、そういった考えをぶれずに持ち続けたい。
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