歴史をたどる-小国の宿命(19)

鳴くよ(794)ウグイス    平安京

歴史の年号をゴロあわせで覚えていた高校時代は、本当に受験勉強としての受け身の学習でしかなかった。

歴史は暗記ではない。

ゴロあわせで覚えるというのは、それだけ影響の大きかった出来事だったわけであるから、これによって何がもたらされたのかを説明できることが大事なのである。

794年に桓武天皇が平安京に都を移したことで、今の京都は、歴史的名所となった。

1869年まで天皇の御所は京都だった(一時期、平清盛による福原遷都があったが)から、金閣寺や銀閣寺もあるし、織田信長の本能寺の変も起こった。

政治の中心地が奈良のままだったら、今の京都と奈良のイメージは逆転していただろう。

さて、平安京に都を移してから12年後の806年、桓武天皇は崩御した。

781年の即位から25年にわたって在位していた桓武天皇の功績は、特に軍事面で大きかった。

それが、東北地方の蝦夷征討であった。

彼のもとで活躍した坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)は、蝦夷征討の中心人物である。

また、平安京遷都の2年前には、健児(こんでい)の制を創設し、それまでの徴兵のあり方を改めた。

国防を真剣に考え、のちに西日本を中心に勢力を拡大する平氏の始祖が、この桓武天皇だったのである。






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