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「私が、着物図案家となるまで」

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#デザイン

■連載「私が、着物図案家となるまで」始めます

■連載「私が、着物図案家となるまで」始めます

 私・芝崎るみは、江戸から歴史が続く吉原(台東区千束)で、「ルミックスデザインスタジオ」を主宰しています。ここではキモノ、ゆかた、手ぬぐいなど和物の図案を考え、制作しております。

 キモノ図案家としての経歴はかれこれ30年。多くのメーカーや問屋さん、百貨店さんと仕事をしてまいりました。また「Rumi Rock」のデザイナーとして意匠・制作をしております。学校は文学部を卒業し、その後服飾系専門学校

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文盲のおばあちゃん

文盲のおばあちゃん

 もし生きていたら、今120歳くらい、西暦1900年ころに生まれた、私のおばあちゃん・イチの話です。現在放送しているNHK大河ドラマ「青天を衝け」の舞台となりましたが、埼玉北部にある血洗島の近く、街道筋、中山道に面したところで自転車屋を営んでいました。その傍ら、養蚕業もしていて、冬の間は家で銘仙の機織りもやっていたようです。とても働き者でおしゃべりなおばあちゃんでした。私が幼い頃です

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秩父のシェルパ、おじいさんと父のはじまり

秩父のシェルパ、おじいさんと父のはじまり

 私は、おじいさんというものに会っていません。父方も母方も早くに亡くなっていたようです。

 芝崎家の歴史は、父方のおじいさんが亡くなるところから始まります。
以下は、父からの伝聞で、ずいぶん前に聞いたのでうろ覚えですが、書いてみます。

 大正時代、お金持ちの人たちは秩父の山へ行き、趣味のハンティングをするのがはやったようで、そんな人たちが余暇を楽しむ場となりました。秩父の山の上の方に住んでいた

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兵隊が家にいる家庭

兵隊が家にいる家庭

 父親のことを、兵隊だと思ったことはありません。何でもやる人だなあとはおもっていました。

 大きくなって、「ベトナム帰還兵が、市民生活になじめず森の奥に一人でサバイバルしながら住んでいる」といったニュースを聞くと、「おや……そうかもしれないな……」と分かってくるのです。

 当時父は、夜寝ているとよくうなされていて、寝言というより結構な大きな声で、ワーワー言ってました。父親ってよく夜うなるんだと

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