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六月の雨の日なのでPlasticTree『六月の雨』について書いてみたかった


☔️☔️☔️☔️☔️

六月の雨の日ってのは
こんなに寒いものだったかと震えた本日
せっかくなので書いてみようの試み🐰

PlasticTreeさんの曲
「六月の雨」について少し書きたい記事です。


聴く時によって変わりゆくものだから
曲についての感想を書くのは苦手です。

それだけ感情に委ねて聴いてる部分が大きいのか
妄想の広がり具合があちらこちらに行ってしまう故なのか
どちらもアリかなと思います。
芸術作品というのは
受け取り手側次第で如何様にもなり
また個々人の内面の変化に気づかせてくれるもの。
ここで言う芸術作品というのはなんだってよくて
簡単に言うと味覚が変わるみたいなこと、です。


ぐだぐだとした前置きはともかく

プラさんの最新アルバム「PlasticTree」についての記事は
少し前に勢いで書いてみたものですが…
そりゃあnoteはじめてからはじめてリリースされたアルバムですからね!そりゃあ書くだろの勢いで!
はじめてのはじめて!

今日もそんな勢いです。

🐰


『六月の雨』

この曲にはふたつのアレンジがあって
(雨降りMix)というバージョンがあります。
こちらの曲の冒頭にはリアルな雨音が入っているのだ。

アルバム「トロイメライ」に収録されている
「雨ニ歌エバ」と「懺悔は浴室で」の二曲は
水音、雨音の表現が物凄く秀逸な音作りで
今聴いても何度聴いても感心してしまうのです。

どしゃ降りの雨音
溺れていくうねり

こんなものをバンドサウンドで再現するだなんて…!


そんな曲があるプラさんですが
六月の雨(雨降りMix)はリアルな雨音が使われている。
そしてどちらのバージョンもわりとポップめな曲調。
望んでた六月の雨とは。

“同じものだけ見てられたら どこまで解りあえたのかな?”

わかりあうということについて
わかりあえないことについて
プラさんの曲ではよく表現されていると思います。
主に竜太朗さんの歌詞でですね。

「理科室」では

“わかりあうことが愛だって聞いた。それが本当ならみんなひとりぼっち ずっと ずっと。”

わかりあえるわけないんだから愛なんてあるわけない!
と、気づいてしまった、そう思い込むしかない
思春期かそれ手前の少年の気持ちが
よく表現されている一節だなぁと思っています。

どうしようもない閉塞感が込められている曲がよくあるのもプラさんの魅力のひとつであるとも…

そうして時は経ち

「ライフ・イズ・ビューティフル」では

“僕は君が好きなふりをして 君が好きなものを好きとして
だからまた誰かしらにそんな感情が芽生えるなら 全部そうする”

なんてこった!
わかりあえないことをとっくに諦めた大人になっちまった!

と、こうやって一節だけ抜き出すと
思わずストーリーを見出してしまいたくなるw

しかしです。
諦めてなんていなくて
生きているからこそ変わり続けることだってできる。
人生の賛美。
ちゃんと人間賛歌。


でも答えは出ない。


答えが出ないことを歌い続けてくれるからこそ
信じられるというものです。


六月の雨で歌われる小さな雨は
涙か、心に降り続けるものか。
消えない思い出だから
止まない雨を優しいとするのか。
そう感じるほど重く辛く枯れきった想いなのか。

通り雨ではなく
ずーっと降り続ける梅雨の雨。

雨という恵みがなければ
生命としても
心を持つ人間としても
生きていけないのだから

どんなことだって
降る雨のように自然に受け入れていけたら。


☔️🐰☔️


とはいえちゃんと傘さして
風邪はひかないようにデス。
身も心も🐰



🍑余談

やっぱり曲について書くのは苦手下手くそですが
むしろなんの記事を書くのも下手くそですが
好きなもの好きなことはドンドン書き遺していきたいの心。頑張るぞい。

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