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ロールスロイスのエンジンで飛ぶ 【東京→福岡】1042km

東京が快晴となった平日の昼に、空路で福岡へ行きました。

1000kmを1時間50分で空を移動する旅は、日本列島の西半分をダイジェストで見るようで、真昼の太陽の光をうけて金や銀や白金に輝く海や湖や川や池が、本当に貴い宝のようでした。

東京から福岡への飛行機に乗ったことはこれまでも何度かありますが、青春18切符や新幹線で通ったことのある土地や、幼い頃から馴染みのある場所を鳥の目になって見れることが、こんなにも心が震えることだなんて、ほとんど気がついていませんでした。

人間の夢であった「空を飛ぶ乗り物」は近代になって実現しましたが、日本には古代から「飛行の神さま」もちゃんといらっしゃって、記紀に登場しています。

東に美き地有り。青山四周れり。其の中に亦、天磐船に乗りて飛び降る者有り。

(ひがしのかたによきくにあり。あおやまよもにめぐれり。そのなかにまた、あまのいはふねにのりてとびくだるものあり。)

『日本書紀(一)』 巻第三 (岩波文庫) 


この「天磐船に乗りて飛び降る者」と呼ばれた饒速日命(にぎはやひのみこと)は、磐余彦(いわれひこ:神武天皇)よりも先に奈良盆地のヤマトに居ました。
彼が奈良盆地の北西の山に天磐船から降り立ち、初めてヤマトを上空から目にした時に

「虚空見つ日本の国 (そらみつやまとのくに)」と曰ふ。

『日本書紀(一)』 巻第三 (岩波文庫)

と、日本書紀にあります。

他にも、この箇所には、神武天皇をはじめ、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)、大己貴大神(おほあなむちのおほかみ)、そして饒速日命が、日本のことを形容して「こんな国だ」と言ったことが書かれています。

■神武天皇のコメント

内木綿の真迮き国と雖も、猶し蜻蛉の臀呫の如くにあるかな
(うつゆふのまさきくにといへども、なほしあきづのとなめのごとくにあるかな)

『日本書紀(一)』 巻第三 (岩波文庫)

*内木綿(うつゆふ):虚木綿(繭の中が空洞になっている様子)


■伊弉諾尊(いざなぎのみこと)のコメント

日本は浦安の国、細戈の千足る国、磯輪上の秀真国
(やまとはうらやすのくに、くはしほこのちだるくに、しわかみのほつまくに)

『日本書紀(一)』 巻第三 (岩波文庫)

*細戈(くはしほこ):水辺の葦など尖った細長い葉をもつ植物のたとえ
*磯輪(しわ):さざ波のこと


■大己貴大神(おほあなむちのおほかみ)のコメント

玉牆の内つ国
(たまがきのうちつくに)

『日本書紀(一)』 巻第三 (岩波文庫)

*玉牆(たまがき):秀麗な山に囲まれている様子のたとえ


■饒速日命(にぎはやひのみこと)のコメント

虚空見つ日本の国 
(そらみつやまとのくに)

『日本書紀(一)』 巻第三 (岩波文庫)

*そらみつ:虚空満つ(盆地のように、山の中ではなく空間がある様子)


こうしてみると、神武天皇と大己貴命(大国主命)と饒速日命は、山に囲まれた穏やかな空間が広がる奈良盆地の様子を語っているようですが、ただひとり伊弉諾尊(いざなぎのみこと)だけは、海の様子のようです。

伊弉諾尊は淡路島の伊弉諾神宮に祀られていますので、そうしたこともつながっているのかもしれません。

そして、饒速日命が天磐船に乗って来た。ということは、饒速日命も海の人なのでしょう。古代にあっては「船」が「鳥」でした。


稲吉角田遺跡(鳥取県米子市淀江町稲吉)から出土した弥生時代中頃の壺に描かれている絵を書き写しました(森山智子)



船を数える「隻(せき)」という単位は、古代では鳥を数える時にも使われていましたし、「天」も「海」も「あま」と呼ばれます。

そういえば、「人が櫂で船を漕ぐ姿」は「鳥が羽ばたく姿」に似ていて、穏やかな夕暮れ時には空と海が一つになりますし、日が昇るときには光が眩しくて空も海もわからなくなります。そんな時にはきっと、海をゆく船が鳥に見えたことでしょう。


さて、私が乗った飛行機が離陸してぐんぐん雲の上までゆくと、地上の天気に関係なく、そこは常に晴れ間が広がっている世界。
さながら「常世」のようです。

座席の窓から見える雲海。
右側にかすかに見えるのは三浦半島の観音崎


飛行機は右側通行なので、
富士山が左の太平洋側に見えます


相模湾を一望。前方に伊豆半島。
手前に細く飛び出ているのは真鶴岬


画面の中央の左に光っているのが丹沢湖。
四方に川が流れているのがよくわかります。


富士山の向こうに駿河湾が輝いています。
田子ノ浦からの逆構図の景色。
駿河湾の手前に突き出ているのは三保松原。
そして富士山の手前の左に光っているのは山中湖


山梨県側からの富士山。
山頂の雪は一旦解けたようです。
左上に流れる川は富士川


大井川が急な山あいを流れます


中央の左に光っているのは井川湖。
大井川を堰き止めた井川ダムによってできました。
南アルプスの山並みが霞がかって神話のようです。


銀盤のような伊勢湾。手前が名古屋の中心地。
左上の湾上に中部国際空港が見えます。


遥かに広がる雲海は熊野の山々。
左手は伊勢。


関ヶ原をとおりすぎて関西に入ります。
琵琶湖の南端の大津のあたり。
前方の彼方に大阪湾の気配がします。


京都上空から大阪方面

手前の山科を流れる山科川、
左の宇治から流れてくる宇治川、
その向こうの伊賀や奈良から流れてくる木津川、
そして右手からは京都の鴨川と合流した桂川、
それらがみんな合わさって
淀川となって大阪湾へそそぐ様子がよくわかります。

この合流地点は伏見のあたりにあって、
かつては巨椋池とよばれた
大きな池がありました。

ニギハヤヒは淀川を遡って
大阪と奈良の県境にある
生駒山の北端に降り立ちました。


大山崎からつながる箕面の山の上空からの大阪湾

左が和歌山方面、右上が淡路島。
海の上には関西空港や神戸空港、
そして平野部の町の中に
伊丹空港もかすかに見えます。

ここに見える景色は
古代「津の国」と呼ばれたところ。
大阪の海は丸くておだやかで、
どこも「津」となるところでした。


大阪の海の春の景色は本当に夢のようで、それは1000年前から同じでした。

心あらむ 人にみせばや 津の国の 難波あたりの 春の景色を

能因法師(後拾遺和歌集)

津の国の 難波の春は 夢なれや 葦の枯葉に 風わたるなり

西行法師(新古今和歌集)

露と落ち 露と消えにし 我が身かな 浪速のことも 夢のまた夢

豊臣秀吉(辞世の句)


大阪と兵庫の県境を流れる猪名川。
五月山の左上に伊丹空港が見えます。
その上の大阪湾に注いでいるのは武庫川。
四角く光っているのは、
伊丹市にある端ヶ池(ずがいけ)で
その側に母校の高校があります。


大きく淡路島が迫ってきます。
手前には神戸のポートアイランドや
六甲アイランドの島影。
左には紀伊半島の和歌の浦や潮岬、
淡路島の向こうには
四国の島影もみえてきました。


神戸の背にある六甲山を囲むように
武庫川が流れています。

「六甲」も江戸時代までは
「むこ」と呼ばれていました。

この武庫川の右手の河口近くには甲子園球場。そして、六甲山の山裾の東端には廣田神社があって、天照大神の荒御魂である「撞賢木厳之御魂天疎向津媛命」が祀られています。

もしかしたら向津媛の「向う」から「むこ」なのかもしれません。

こうしてみると、神戸空港と関西空港は向かい合っていてとても近いです。
そして、ちゃんと船が往き来していますので、麗らかな春の日には30分のクルージングを楽しめそうです。



淡路島。
手前の明石大橋で本州とつながり、
奥の鳴門大橋で阿波国とつながります。
阿波国へ行く道なので淡路という名がつきました。
この島の中ほどの右側に伊弉諾神宮があります。


鳴門海峡
かすかに橋の姿が見えます。
徳島県側に横に線が見えるのは、
中央構造線を流れる吉野川


淡路島をすぎると播磨灘。播磨国です。
姫路上空から見える家島諸島。
向こうには小豆島。

海上にいくつもの線が見えます。
これは漁の跡でしょうか。
飛行機雲のように船が通った跡が
海の上にもできるのですね。


播磨灘の西にある小豆島。
兵庫と岡山と香川の海の県境。


広島の尾道と愛媛の今治を結ぶ「しまなみ海道」
無数の島陰。ここは戦国時代、
瀬戸内海を制圧した村上水軍の本拠地。


周防灘。九州がみえてきました。
左上に北九州空港が見えます。


関門海峡が川のように見えます。
一番狭いところに関門橋があって、
下関と門司がとても近い。


小倉・北九州の工業地帯。
ここは神武が東征の際に立ち寄った
岡田宮があるところ


宗像の海


新宮浜の松林と砂浜の曲線が美しい
左にある相島と行き来する船がみえます。


新宮浜


JRの香椎線とパークウエイ


福岡アイランドシティ
手前は、志賀島へ続く「海の中道」
向こうの手前の山並みの右の麓に香椎宮


もうすぐ着陸です。
筑前国一宮の筥崎宮の上空、
北西の方向から福岡空港に降り立ちます。


福岡空港がある板付には、弥生初期の水田の跡を伝える板付遺跡があります。小高い山に囲まれて、いく筋もの水の流れも穏やかで、ここが稲作に適した場所だということを改めて想像しました。

そして博多湾を臨むこの福岡平野一帯は、志賀島で発見された金印や魏志倭人伝に名が記される「奴国」があったところ。
そして平野の一番奥まったところに大宰府があります。


博多は古代より海が玄関口。
福岡空港へ向かう飛行機が、海側から着陸するのが本当にもうぴったりです。


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