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「漂泊の無常」と「政治の非情」を行き来する

たいていの本屋さんの新潮文庫の棚の「サ行」のところには、塩野七生(しおのななみ)と白洲正子(しらすまさこ)の著作がつながって並んでいます。

私の旧姓は「白川」なので、出席番号順に並ぶと、ちょうど彼女たちの間に入ることになります。二人の本を読むようになったきっかけは、突き詰めるとこの「苗字」の出席番号順なのです。

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1997年の夏、大阪から東京への出張の時に新大阪駅の新幹線乗り場の本屋さんで買ったのが塩野七生の『イタリアからの手紙』という薄い新潮文庫(400円)でした。(ファッションへの興味からイタリアのことが知りたいと思って。表紙の手紙の絵も可愛いし)

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文章の歯切れがいい。そして、彼女が描くイタリアの男たち(特にヴェネチア共和国の)は、常に「情」と「非情」が同居していて、その厚さが、とても篤い。そしてなにより、そんな男を見つめる女たちの言葉が、女の本音の芯を突いている。その本音に何度勇気付けられたことか。

そう、塩野七生の描く世界は、清濁あわせのんで「真珠の飾りのついた短剣で、一思いに胸を突く」のです。

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当時はまだ『ローマ人の物語』は発表されだしたばかりで、塩野七生を読み尽くした後、本屋の棚の塩野七生の隣にあった白洲正子の『名人は危うきに遊ぶ』を手に取りました。タイトルの「危うきに遊ぶ」に惹かれて1999年のことです。同じく新潮文庫(400円)。

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白洲正子。日本にこんな女の人がいるんだと、ゾクゾクしました。書いてあることの雰囲気は感じられるけど、その奥の何かは掴みとれない。でも、心の奥を掴まれて揺らされる文章。こんな風に日本を見てみたい、分け入りたいと強く思いました。

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それから20年。
2年ぐらい、すべての思考がとまってしまったようになっていたのが、そっとそっと自分自身の感覚を慈しむようにあることを続けるうちに、再び、思考と感情が動くようになりました。その時に、大きなきっかけになったのが白洲正子の『西行』でした。そこから『私の百人一首』も手すりにして古代へ向かい、「やまと歌」を通じて古代の思考の方法を辿るうちに、心が戻ってきました。

能の『土蜘蛛』に「胸を苦しむる心となるぞ悲しき」というくだりがあります。
やまと歌には、心がどんな風に移ろっていくのか、幾人もの幾人もの人々の体験や想像が歌われています。自然の移ろいも、人のよろこびも哀しみも、分け隔てなくただ見つめます。その代表が西行でした。ひたすら漂泊していき、その流れは芭蕉によって昇華されました。

心の移ろいを見つめることが、生きている実感と深い関係にあります。そのための漂泊なのかもしれません。

芭蕉が『おくのほそ道』の冒頭で、

「予もいづれの年よりか、片雲の風にさそはれて、漂泊の思ひやまず・・」

とあるのは、日本人にとってほんとうに切実な実感なのだと思います。

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「わらしべ長者」のお話のラストシーンでも、わらしべの男が持っていた馬と、自分の土地と全財産とを交換した(預けた)男にとっては、どうしても「馬」が必要でした。旅に出るために。

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再び、本屋さんで二人の本に会いました。以前と変わらず隣り合って並んでいます。
(本来なら司馬遼太郎は二人の間ですが、なぜかどこでも、塩野七生の前に並べられています)

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私は社内SEという立場で長くITの仕事をしてきましたが、SEといっても「社内SE」と「ベンダーSE」は、その構えが大きく違います。その違いは何だろうと、ずっと引っかかっていたのですが、二人の本が並ぶのを見ていて思いました。

「社内SE」は塩野七生で、「ベンダーSE」は白洲正子かも。
言い換えると
「社内SE」は政治で、「ベンダーSE」は漂泊かも。

つまりシステム開発の局面では両者は協業するのですが、開発が完了したあと
 ●社内SE   ・・・ 作ったシステムを使い続ける(移行し続ける)
 ●ベンダーSE ・・・ システムを作ったら去る

そこに留まって現実を保証するアルテと、あちこち渡りながら新規をもたらすアルテ。自ずから、見つめる先、調整する事項が全く異なってきて当然です。
漂泊は職人(能の人)といってもいいかもしれません。

まさに、塩野七生が描く「政治(戦争)する人たち」と、白洲正子が描く「漂泊する人たち」

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塩野七生の最新文庫『小説 イタリアルネッサンス4 再び、ヴェネツィア』では、主人公のマルコが、5年にわたるフィレンツェ、ローマでの刺激に満ちた体験の後、国政に復帰し、イスラム世界とヨーロッパ世界が激突したレパントの戦いに臨みます。

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日本で、国政に携わった人が漂泊して再び国政に戻る。というのはあまり聞いたことがありません。というか、国政への意識が、根本的に欧米と異なるようにもみえてきます。日本文学は漂泊こそ本流ですし。

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ただ一人、塩野七生が描く男に通じると思うのが、GHQ要人をして「従順ならざる唯一の日本人」と言わしめた「白洲次郎」。

そして、塩野七生と白洲正子の二人が揃って名を挙げる「小林秀雄」。

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きっと両人ともに「政治」と「漂泊」の二つの心をもっているに違いない。

そして、二つの心は深いところで「情」に繋がっている。





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