『下界の神様奮闘記』第35話「神様とこの街⑥」
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車の通りが少ない。レッカーを呼ぼうにも、時間がかかりすぎる。ここには2人しかいない。そのうち凪沙ちゃんはアクセルを踏む係。つまり残りは1人。普通は絶望的だろう。しかし、今回は違う。その1人が元神様という特殊性があるのだ。
見せてやろうじゃないの。元神様の能力、「火事場の神力」。「火事場の馬鹿力」に似てる? そんなの知らないね。
神様は数分間だけ様々なリミッターを外す事が出来る。筋力のリミッターや、記憶力のリミッターなどだ。
ただし、命の危険に関わることに限っては、ほんの数秒間と決まっている。たとえば、息を止めておく肺活量のリミッターとか、限界を超えて痛みを我慢する痛みのリミッターなどである。
さらに、なんと便意を限界を超えても我慢出来るという、便意のリミッターなんかもある。使い所、めっちゃ限られるけどね。
今回の場合は、後輪がぬかるみに嵌っている状態から脱出させることが目標であるから、外すリミッターは「力のリミッター」である。数分間だけ力のリミッターを外し、その間だけ1人で4〜5人分の力を発揮する。その力を使って車を持ち上げる、若しくは押している間に凪沙ちゃんがアクセルを踏むことで脱出させるのである。
「凪沙ちゃん、俺が車を押したり持ち上げたりするから、その間にアクセルを踏んでくれ。それで脱出できるかもしれない」
「で、でも神山さん1人じゃ無謀ですよ……。頑張ってほんの少し動かせたとしても、その瞬間にタイミング良く脱出出来るかどうか……」
「大丈夫。実は僕は元……、ボディービルダーだから!」
こんなおじさん体型のボディービルダー、この世のどこを探してもいないだろう。さすがに疑われるか……。
「そうなんですか?! それは心強いです! なんで今まで言ってくれなかったんですか、水くさいですねぇー!」
疑われなかった。しかも、水くさいというのかこれ……。
「こういうのは連携が大切です! 車を動かせたら声掛けをお願いします! 良きタイミングでアクセルを踏むので!」
「1回で決めたいね! そして早く帰ろう!」
1回で決めたい理由は早く帰りたいのではない。力のリミッターを外すのは、50過ぎのおじさんの体では負担が大き過ぎるからだ。なにしろ、キャッチボールで全身筋肉痛になるくらいだからね……。
「じゃあ車を動かせたら声を掛けるから、そのタイミングでアクセルを踏み込んでね!」
運転席に乗り込み、車のエンジンを付けた凪沙ちゃんに向かって叫ぶ。
「いつでもOKです! お願いします!」
俺は集中する。全身の筋肉の神経を研ぎ澄ます。力が漲ってくる。力のリミッターを外したのはいつぶりだろう。あれかな。天界にいる頃、若い女神に力があるところをアピールする時に使ったんだっけ? 結果、腰を悪くしたけど。
そろそろか。これ以上やると、力を出す前に失神してしまう可能性がある。今こそ、力の出しどころ!
この車は後輪駆動で、かつ左後輪がぬかるみに嵌っている。車体の左後方を中心に押している間にアクセルを踏んでもらえば、勢いで脱出出来るかもしれない。
数分だけ人間の4〜5人分の力を得た俺は、車体の左後方を勢いよく押した。ぐ、ぐぅ……、思ったよりも動かないな。
もっと、もっと強く押さねば。もっと、もっと。
少しずつ車体が前に動き始めた! もう少しだ。
力のリミッターを外せるのも残り数十秒か。ここはもっと集中して全神経を研ぎ澄まさなければ。
また少しずつ、少しずつ車体が前に動く。ぬかるみに嵌った後輪からも、脱出しようと必死にもがいている感じが伝わってくる。今だ!
「凪沙ちゃん、アクセルを踏んでくれ!」
「分かりました! いきますよ!」
凪沙ちゃんがアクセルを踏み込んだ。後輪が勢いよく回転し、脱出を試みようとする。俺ももう少しだけ頑張らなければ!
俺は最後の力を振り絞って車体を押す。凪沙ちゃんがアクセルを踏み込む。押す力と後輪の回転か同期したと感じた瞬間、ぬかるみに嵌っていた後輪がゆっくりと、しかし確実にぬかるみから脱出していく。
そして、凪沙ちゃんも後輪が脱出した感覚を捉えたのか、少し前進させた後にブレーキを掛けて車体を停止させた。
もういいだろう……。外した力のリミッターを戻そう。身体は大丈夫か?
……よし、身体には何も異変は感じな……、痛っ!! 腰痛っ!!
「神山さんやりましたねぇ! 凄いです! こんな重い車体を1人で持ち上げるなんて! さすがは元ボディービルダーですね。今度筋肉を見せ……って、あれ? どうしたんですか? ! 地面にキスなんかして!」
「ち、違うんだ……。俺は別に地面愛好家でもなければ、誰にでもキスをするキス魔でもない……。たぶん、腰をやってしまったんだと思う……。凪沙ちゃん。もしよろしければ手を貸してください……」
「大丈夫ですか?!」
結局、50過ぎのおじさんが若い女性に支えられるという構図で、車に乗っけてもらった。座った体勢すらキツイため、助手席ではなく後部座席に情けなく横たわる。
「さ、さて帰ろうか……」
「あの、すみませんでした……。休日に無理やりお誘いした挙げ句、こんな姿にさせてしまうなんて……」
「大丈夫大丈夫。それより、車だいぶ汚れちゃったね」
「たしか、お父さんがこの車もうすぐ車検に出すって言っていたので、その時一緒に洗車してもらえると思います。うちの近くにお世話になっている車の整備工場があるんですよ」
「それなら良かった。お世話になっているということは、その整備工場にはよく行くのかい?」
「私は両親の車を借りているだけなので、整備工場に行くこと自体は少ないのですが、最近はアレがあったから印象には残ってます」
「アレ?」
「私がすき焼きを助けた、アレです。以前、私たちを轢きそうになったトラックの軌道が間一髪のところで変わったという話をしましたよね? おかげで事故には繋がらなかったのですが、その後トラックの運転手の方が「ハンドルを切ったわけでもなく、またタイヤが急にパンクしたわけでないのに、トラックの軌道が急に少し左側に変わった」とおっしゃっていたんです。流石におかしいと思って、その整備工場で見てもらったらしいんですが、そこでも特に異常は見当たらなかったとおっしゃっていました。不思議なこともあるもんですねぇ」
ほう。また有力そうな情報が……。これは今度、その整備工場に話を聞きに行かないといけないな。
次話・第36話「神様とこの街⑦」はこちらから!
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