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「自国の歴史を忘れた民族は滅びる」

自分は反抗的なこどもでもなかったと思うのですが、社会の授業で覚える内容って誰がどうやって決めたん?という疑問が昔から強かったのです。他の教科については大して思わなかった気もするのですが、社会、特に歴史ですね。その時代に起こったことはたくさんあって、生きた人もたくさんいるのに、なぜこの事件とこの人名を覚えなあかんの?と。

今は知らんのですけど、私が小学校の時は郷土史みたいな教科書もあって、その存在理由は納得してました。自分の住んでいる地域の安全のために尽力したひとの名前や、その地域で起こったことを学習するわけですから。

私の小学校では、灌漑治水とか水害の話はよく学校でも地域でも聞きました。水害の時の被害の大きさとか、対応の仕方とか。おかしいと思ったら、古い神社の一の鳥居までとりあえず逃げるとか。これは理にかなってるんですよね。神力に頼るというのではなく、何度も水害にあった鳥居が、水害に遭わないとこまで移動してきたのです。だからその鳥居の向こう側まで行けば、経験的に安全地帯のはずだということ。

本当は、私のところは壬申の乱の記述からも天武天皇側としてその地名を見ることができるのですが、そういう学習の仕方はしませんでした。戊申戦争佐幕派の代表藩の一つだということも、郷土史としては学習しませんでした。

10代の時に「歴史は勝者が作るもの」と社会の先生が言っていたのが、私の誰が覚えること決めるん?という疑問に対する、腑に落ちる説明の一つなのですね。現行の支配者や管理者側が統治しやすいように物語を組み立てているということです。壬申の乱の天武天皇側とか、佐幕派とか、そういうのは「公式」学習しないんやね。教科書の見方は歴史観の一つであって、事実は一つでも、とらえ方や物語は幾つもあるのですが、自分と違う見方に出会うと新鮮に面白いです。同意できなくても、そういう考え方や物語もあるのかとわかることが楽しいのです。(自分と違う価値観に出会うと怒りや排他に動く人も少なくないのは残念ですね。)

東京で仕事をするときに気づいたのですが、東京は氷川神社(スサノオ系)というのがたくさんあります。近畿育ちの私にとっては、周辺はお伊勢さんを中心に天照大神系の神社が多く、スサノオというのはアマテラスを困らせる問題児という認識で、スサノオが祀られている神社って少なかった(と思う)。アマテラスが引きこもりになる天岩戸事件の直接原因が祀られるとかない(と思う)。そして東京にはアマテラス系とか猿田彦系が(ほぼ)ない・・・?東京は猿田彦ってコーヒーとしか思ってない人が少なくなくて驚くんですけど、違いますからね?(笑)
明神(平家)も浅間神社(コノハナサクヤヒメ)も近畿ではあまり見なかった気がします。まあ、浅間神社はご神体が富士山だから、これは明確にそういうことも関係していると思われますが。

土地によってご神体や神様、語られる物語に特色があって興味深いです。でも、けっこう多くの人は神社参拝しながらもご神体が何とか縁起がどうとか気にしないんですね。何に、または何を、拝んでいるのか、知らないことが怖くないんか・・・

「自国の歴史を忘れた民族は滅びる」は歴史学者トインビーの主張の一つと言われています。タイトル画像は春日大社です。

(認識の誤りなどがあれば、是非ともコメントなどで教えてください🦌)


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