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『26人の男と一人の女』ゴーリキー著

『26人の男と一人の女』
ゴーリキー著


『26人の男と一人の女』という4つの短編小説で構成られる本に収録されている同名タイトルの一編。

半地下の部屋で一日中巻パンを作らされている26人の男たちと、毎朝やってくる美少女のターニャとのやりとりを通して、労働者階級の人間が、どんな生き方をしていたのか、示されている。

ターニャは毎日、男たちに一声掛けてくれているだけなのに、男たちにとって唯一の希望の光だった。ところが、ある日、ターニャが伊達男と付き合っていることが発覚し、男たちは希望を失う。崩壊した偶像に対して、徹底的に罵詈雑言を浴びせ続けた。

ターニャ自身は、男たちが、自分に罵詈雑言を浴びせる意味はわからなかったかもしれない。ただ、26人の男たちが、同じ人間であるということには、理解した。そして、彼らの置かれている惨めな状況に、気づいた。

この物語の主題は何か?
日本にも差別用語があったように、身分の低い者たち、最底辺の労働者階級の者たちのことを、同じ人間だとは見なされなかったということ。

ターニャが、巻パンの労働者たちのことを囚人と呼んでいたように、人間ではない単なる労働力という生物が、人間のように、喜んだり、悲しんだり、怒ったりするのだということ。牛や馬ではなく、同じ人間なのだということを示すことなのだと理解した。

ターニャの言葉で、

「ああ、あんたがた囚人さんはみじめなんだねえ!」

「あんたがたは、下衆の集まりだよ、いやらしいったら!」

これは、ある意味、26人の男たちにとっては、最大の褒め言葉になるのかもしれない思った。

ゴーリキーが自らパン屋で働いた経験をもとに書かれたらしい。

今の社会って、自由で、身分差別のない社会だと思わされてはいるのだけど、まあ、事実、そこそこの暮らしは、保障されているということは出来るのかもしれない。

でも、所得の分布状況を聞くと、一部の富裕層に富が集中していて、最早個人の努力では、所得の差は、埋まらないと言われている。これが、資本主義の限界ではないか?と言われているのだけどね。

上位1パーセントの富裕層が、約20パーセントの所得シェア占めていて、10パーセントの富裕層が、約50パーセントの所得シェアを占めていると言われている今のアメリカの所得格差の状況は、近い将来の日本の姿なのかもしれない。
ちなみに、日本では、2018年における上位1パーセントの所得シェアは10.6パーセントであり、上位10パーセントの所得シェアは30.8パーセントらしい。

織姫 水曜日のカンパネラ

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