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『大つごもり』

『大つごもり』
樋口一葉著

金持ちの山村家に女中として奉公する主人公・お峰の物語。彼女は、美しく、本来なら、学もあり、非常に気立ての良い女性だったのだけど、早くに親を亡くし、伯父、叔母を頼りに真面目に生きていた。

山村家の跡取り息子石之助は、実は妾から生まれた子供。家を継ぐ者としては、家族からは、喜ばれない微妙な立場にいる。そんな微妙な空気を察して、石之助は、放蕩息子として、ひたすら、お金を乱費する。

ある秋の日、お峰の伯父が病に倒れ、年末の借金も返せない状態に陥ってしまった。そこで、お峰は、なんとかして年末までに2円だけ借りることを山村家の奥様に了承してもらっていた。ところが、年末が近づくと、奥様はご機嫌が悪かったのか2円を渡すことを拒否するのだった。

一方で、石之助は年末に遊ぶためのお金として、50円をせびりに来ている。

お峰は意を決して引き出しから2円を盗み、伯父の息子にお金を渡し、罪悪感に包まれる。その日の夕方、お峰ともう一人の女中は奥様に呼ばれ、引き出しの中にある20円を取ってくるように言われる。お峰は自分の罪を奥様に告白しようと決意していた。ところが、引き出しは、空で、石之助の置き手紙が残されていた。

家族たちはお峰に対して疑いを持つことなく、皆口々に「あいつは本当にどうしようもないやつだ」と言うのだった。

石之助は知らずにお峰の罪をかぶってしまったのか?おそらく、お峰の状況を知って、せめて、お峰を守ってあげようと思ったのでは無いかと思うのだけどね。

一応、平和には落ち着いたものの、お峰の罪が消えたわけでは無い。

おそらく、この先もずっと、お峰は、罪の意識に苛まれながら生きていくことになる。

明治時代の日本では西洋の文化と価値観が取り入れられ、それまでの社会秩序や価値観が大きく変わった。特にキリスト教の影響下では、罪という概念が導入される。これによって、個人の行動や道徳観が社会全体の秩序や規範にとって重要であるという意識が強まってくる。近代国家の形成とともに法律に違反することは「罪」であり、社会的な制裁があるという認識も広がりました。これらの要素が複合的に絡み合い、明治時代の人々の「罪の意識」が生まれてきた。

ようは、何が悪いことなのか?わかりにくくなってきているということなのかなあと思った。

お峰のやったことは、罪か?あるいほ、石之助が、無責任な親にたかっていることは、罪ではないのか?裕福な山村家のご主人、奥さんは、法律をまもっているのだから、罪はないのか?一方で、罪を被った石之助は、正しく評価されるべきではないか?

江戸時代でも、貨幣経済の中にはあったわけで、貧富の差というものはあったのだろうけど、社会構造が変わってきて、様々な価値観の中に、明治時代はあったのだなあと改めて思った。何となく今の時代に何か近いものを感じる。


ちなみに、"大つごもり"とは、大晦日のこと。

"大晦日"は一年の終わりを象徴し、過去の反省と新たな始まりへの期待を表す。これは時間の流れや人生のサイクルに対する深い考えを引き立て、終わりと始まり、過去と未来の繋がりが、示されているということなのだろうかね。


物語本文よりも長文になってしまったかも?

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