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『あひる』

『あひる』
今村夏子著


「のりたま」という"あひる"が「わたし」の家に来た。すると、「のりたま」を求めて、近所の子どもたちが訪れるようになった。その後、「のりたま」は体調を崩して、病院で、治療を受けることになって、2週間後戻ってきた「のりたま」は、どこか雰囲気が変わっていた。その後も何度か、「のりたま」は、入退院を繰り返して、その度、雰囲気が、かわっていたのだけど、やがて、死んでしまった。と言う話。

何を言っているのかよくわからない話しなので、キーワードを探って見た。

タイトルの「あひる」とは?
あひるはしばしば自由と平和の象徴とされる。また、水と陸両方で生きることができるため、適応と変化の象徴ともいえる。

本書に戻ると、「あひる」は、皆から愛される存在で、「わたし」の両親は、弟が戻ってきたみたいだと喜んでいた。暫くすると、「のりたま」は、力尽きて死んでしまう。でも、「わたし」の父親は、どう言うわけだか、「のりたま」が、死んだことを告げずに、似たあひるを仕入れてきて、「のりたま」が戻ってきたとして、平和を取り繕う。「のりたま」が、3度目の死を迎えると、弟夫婦に猿にそっくりな子供ができて、同居することになる。

そんな家庭の問題は何か?と言うことなのだと思う。

家族はお互いをモノのように考えていると言うことなのかと思った。

愛すべきものは、いなくなったら、また、仕入れれば良いと言うこと。

交換可能なものはあひるだけではないということ。「わたし」や両親、子供たち、暴力的な弟、さらには生まれてくる赤ん坊までもが交換可能なものではないかと言う示唆を感じる。

いまの世の中、多くのものは、代替可能なのだけど、家族も代替可能な社会が、来つつあると言うことなのかもしれない。

「あひる」は単なるペット以上の意味を持っている。ペットは、家族の一員だと言う家庭は多い。
ペットと同じように、レンタル家族のようなものが、出て来てもおかしくない世界だと言うことなのだと思った。

本書の主題は、何か?
家族とは何かということなのだと思った。本書の「あひる」は、「わたし」にもなり得るし、後で登場する「わたし」の凶暴な弟にもなりえるということなのだと思った。

代替の効く家族など、あり得ないと思ってはいるが、個人主義が、究極的に効率を突き詰めれば、家族もいらなくなってしまうのかもしれない。と思うと、怖いなあと思った。

2040年には、世帯数の半分が、シングルになるとかいう話も聞く。

子供たちには、早く所帯を持ってほしいと願う。

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