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『小説の面白さ』

『小説の面白さ』
太宰治著



「小説と云うものは、本来、女子供の読むもので、いわゆる利口な大人が目の色を変えて読み、しかもその読後感を卓を叩いて論じ合うと云うような性質のものではないのであります。」という、強烈な文章で始まるエッセイ。このエッセイは太宰治が亡くなった年に書かれたものでもあり、自分の人生や作品に対する絶望や諦めを表現しているのかもしれない。

本書では、小説を皮肉ったり批判したりする。小説を読むことや書くことに対する自分の態度や感想を書き連ねている。

太宰治は自分がどうやって物語を作り出すか、そしてその過程が彼自身の性格や人生経験にどんな影響を及ぼすかについて述べながら、自分を皮肉ったり、自分自身を見下したりする。自分の力不足を嘆いて皮肉やジョークを使っていたかもしれない。

本書のメインテーマは何か?
小説を書くことは、人間の思考を崩壊させるほどに難しいことだということだと思った。

人類の歴史をみると、数百万年前から、二足歩行が、始まって、それによって、脳が巨大化して、知性が備わってきて、身振り手振りなどのコミュニケーションから、言葉が生まれたと理解されている。

ところが、文字が、生まれたのは、ほんの5,000〜6,000年前なのだとされている。悠久の歴史の中で、文字が生まれてからわずかしか経過していない。まだ、人類は、文字自在に使うことに慣れていないと言えるのかもしれない。
文字を使って文章を作る、小説を書くという行為の歴史は、浅い。また、文字を読むということも、歴史は浅い。

文字を読んだり、書いたりすることは、人間の進化論的には、現在でも、困難の真っ只中にあるのかもしれないと思うと、小説家の苦闘も何となくうなづくことが出来るような気がする。

大変な想いをして、小説を書くのだけど、内容を理解出来る読者は、少ない。子供向けの文章でないと、大人も理解出来ない。

日本人は、比較的、識字率が高い国民と言われているけれど、ベストセラーの書籍は、10万部くらいらしいから、人口の0.08%しか読んでいない。文字を読むことですら、ハードルが、高いのだから、小説家の孤独感は、半端ないだろうなあと思ったりした。

太宰治の楽しい読書論かと思いきや、小説家の嘆きだったみたいだ。
まあ、文章で、面白いくらいに読まれていないなあとは、思うけどね。

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