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『無性教室』(『丸の内魔法少女ミラクリーナ』より)

『無性教室』(『丸の内魔法少女ミラクリーナ』より)
村田沙耶香著


主な登場人物は、
ユート(本名は優子):主人公で「私」
セナ
ユキ
コウ
ミズキ

一言で言うと、性別が禁止された高校で起こるさまざまな出来事をめぐる物語。

この学校では、性別が、わかるような格好や髪型が、禁止されている。
トランスシャツという、胸が潰れた状態にするシャツが、制服になっている。そして、誰もが、自分のことを「僕」と呼ばなければならない。

「私」のベースは、女性であるので、本心としては、男性を恋愛対象に考えている。ある日、クラスメートのユキの自宅に招かれる。ユキの家族は、たまたま、出払っていて、二人きりでいると、ユートは、ユキから、告白され、身体を求められる。「私」は、ユキのことを受け入れることができなかった。女性同士という認識もあったのだけど、「私」には、性別不詳のセナ(男子だと思われるけど、実態は不明)に惹かれていたのだった。

ユキとのことでショックを受けていた「私」は、セナに告白する。セナは、自分の性を明かさないことを条件に、まぐわうことに応じる。

人間が他者と関係性を深めていく時に、「性別」を関係ないとできるものなのだろうか?

確かに、人物を評価する時に、性別は不要よのうには思う。男女に関係なく、尊敬できる人物や魅力的な人物は、いる。

女性らしくしましょうとか、男なんだからとか、「性別」に基づく役割や期待は、本当の能力を無闇に制限してしまうのかもしれない。

「性別」がなくなった社会は、どんなことなのか?問題を提起しているのだと思う。


ジェンダーフリー社会について、探ってみた。けっこう、複雑な政治的な思想が絡んでくることがわかり、細かいことは割愛する。

そもそも、"ジェンダーフリー"という言葉は、和製英語らしい。欧米では、gender -lessとか、gender-equalityという言葉が、一般的なようだ。

何となく、日本語で言うジェンダーフリー社会というと、「性別そのものが悪であり、無くす必要がある」というジェンダーを撲滅させるという意味が強いような印象を受けた。

本来的には、gender-equality (社会的性別平等)という、
男女が平等に権利や機会を享受できる状態を目指すべきではないか?例えば、教育や健康、政治や経済などの分野で、男女が同じレベルの資源やサービスにアクセスできたり、同じレベルの責任や義務を負ったりすることが大事なのではないか?と思ったりした。

生物学的に男女の性差は、存在することは、無視されるべきことではないように思ってしまうのだけどね。

そこに、バイセクシャルとか、ノンセクシャルとか、LGBTの問題が、絡んでくると非常に分かりづらくはなる。

ちなみに、聖書では、
男女平等創造を説く一方、異なる役割が、与えられている。創世記2.18で男性は地上を治め、女性は助け手。エペソ5.22では夫は妻を愛し導く、妻は夫に従い尊敬する。1テモテ2.11では女性は学び、教える権威は男性に限られると解釈されているらしい。

ようは、人間は、一人でいるべきではなくて、相応しい相手がいるはずだということなのだと思うのだけどね。まあ、文字だけ読むと男女平等ではないが、、

スペインの言葉で、"オレンジの片割れ"というのがあるのだけど、

生涯愛する人、切り分けたオレンジ同士は、もう片方としかぴったりくっつくことはないという意味で、つまり、「ベストパートナー、妻、夫」などに値する人のことを言う。

何故オレンジなのか?
諸説あるらしいのだけど、古代ギリシャのプラトン「饗宴」に出てくる話に由来する。

要約すると、

- エロースは人間の恋愛を促す神である。
- 人間はもともと球形で2つの性を持っていたが、神々に切られて半身になった。
- 人間は自分のもう半分を探して恋をするが、それは完全体に戻りたいという願望である。


この辺の話を見ていくと、人のパートナーは、やはり異性なのではないか?と思ってしまうのだけどね。

本書に戻ると、
なかなか、村田沙耶香ワールドを体感できる興味深い物語だったと思った。

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