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人類みな平等

最近、メディアによってジェンダーの問題が取り上げられていますね。社会の中での差別意識が変わりつつあるように感じます。昔は差別的な目に晒されることが多かったので、性別に違和感を持った方は、親しい人でもカミングアウトは難しいとカウンセリングで語っていました。しかし、今はそのハードルが下がりつつあるようです。周囲に話して、受け入れられたという話を聞くと、社会の変化を感じます。

一方で、そもそも差別意識が低い人でも、これほど早い変化が生じると、どう捉えていいものか戸惑っている方が多いと思います。たまに政治家がジェンダーに関する失言をしていますが、社会の価値観の変化に追いついていない証拠かもしれません。

ジェンダーに限らず、人種、皮膚の色や、学歴など、あらゆる差別が世の中にはあり、そういう問題に関して小さいころから教わるのは「人はみんな平等なんだ。だから差別してはいけないんだ」というものです。言っている内容は間違いないですが、ふだん生活していて「人は、みんな平等」などと実感することは少ないです。

僕自身も「人は、みんな平等」という実感はないままに過ごしてきました。南米に行くまでは…。

チリの北部からアタカマ砂漠を越えて、ボリビアのウユニ塩湖まで行くルートがあります。標高が高く、4500mを超えるところもあるので、富士山よりも高いことになります。僕も、南米を旅行した際、そのルートで国境を越えました。色んな国の貧乏旅行者が同じルートをたどります。けれど、そのルートには、標高が高いために高山病になりやすいという落とし穴があります。

当時、僕は高山病について理解していませんでした。直前まで海沿いの街で過ごしていて、急に思い立って高地に行ったので、今、考えるとかなりの高低差がありました。そして、まんまと高山病にかかったのです。

高山病は、本当に辛く、頭は痛いし、嘔吐はする。現地ガイドは、高山病に効くからとコカ茶を飲ませてくれるのですが、それすらも吐いてしまうほどです。ですが、ふと見ると、そこに集まっていた様々な人種、性別の人が、みな等しく吐いていました。屈強な身体つきの人も高低差という驚異の前ではなすすべなく、オエーっと同じ音で吐いていました。そこに言語の違いはありません。僕も吐きつつ、「人類みな平等」という言葉が浮かんでいました。

こういう経験をすると、「人は、みんな平等」というメッセージが実感をもって分かるものです。人は細かなところを見ていくと、個別性が高く、違いがあるのですが、生き物としての視点で掘り下げると、みんな同じだと気付けます。

価値観の変化になかなか対応できないという方は、一度、生き物としての人間という視点で振り返ってみてはいかがでしょうか?「人類みな平等」が腑に落ちやすいと思います。

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