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殺されたのは誰か ショートショート27

これは私が体験したお話です。
当時の私はタクシードライバーを始めて半年、ようやく大阪の街路に慣れ、初めての「おばけ」と呼ばれる客を乗せることになりました。
ちなみに「おばけ」はタクシー業界では長距離利用客のことをそのように呼んでいます。
その日のお客さんは二十代後半くらいの男性でした。泥酔されており、お客さんの友人に担がれておりました。その友人はタクシーを呼び、お客さんだけを乗せて去りました。お客さんは意識があるようでしたが、ぐったりしておりました。
住所を伝えられる程度の意識はあるようでしたが、社内で体を左右に揺らしておりました。私は社内で吐瀉されることを懸念しましたが、奈良の実家まで向かってほしいとのことで、遠方への運賃をいただける上客と吐瀉のリスクを天秤にかけ、お客さんを取ることにしました。
お客さんは終始振り子のように体をふらつかせておりましたが、しばらくしてお客さんは少しお酒が体から抜けたのか、ぽつぽつと語り始めました。
「久々の帰省なんですよ。」
お客さんは東京で働いているようで、久々に奈良の実家に帰るとのことでした。帰省前に旧友と大阪で飲んで、飲みすぎて深夜三時に至ったといいます。
お客さんが絶えず話し続け、私が相槌を打ち続ける。
「お仕事は何をされているのですか。」
「それにしても、奈良は不便ですよ。飲みに行こうにも深夜まで飲むと家に帰れない。」
このように質問をしても、まともな返事は返ってきませんでした。お酒のせいなのか、もともと話をはぐらかすタイプの人なのかは判断しかねました。
しかし、男性の話し方は少しおっとりした話し方であり、高圧的な人でも会話をはぐらかして相手を困らせる様な性格の方ではないと思えました。
一方通行の会話をしている時に、「私、人を殺してしまったんですよ。」と、お客さんが話します。
突然の狂気染みた台詞への理解が追い付かず、危うく事故を起こしかけました。すっと伸びた一本道を走っていなければ、事故を起こしていただろうと今でも思います。なんて声を掛ければいいか分からず、思わず黙ってしまいました。
そして、自分の身に危険を感じました。仮に本当に人を殺していた場合、いつ、誰を殺めたのか、そして、この状況で私にその話をした意図が分からない。
お客さんが乗車してから終始理解できない会話。もしかすると、お客さんが人を殺めることに快楽を覚える猟奇的な殺人鬼なのでは。という最悪の仮説が思いつきました。
現在、高速道路を走っている私は警察に連絡をしても、事業所本部に助けを求めてもおそらく手遅れでしょう。
近年、強盗対策で運転席と後部座席にはアクリル板で仕切りがありますが、本気を出せば壊されます。
「何を言ってるのですか。」
少し笑いながら辛うじて答えを返すとお客さんからの返事はなく、眠っていました。もうこのお客さんはおばけであってくれ、と祈りましたが、静かにすやすやと後部座席で睡眠されていました。

危害を加えられる気配はなさそうでしたが、私は法定速度ギリギリのスピードの走行かつ、安全運転でお客さんが教えられていた住所を目指しました。
高速を降り、出来る限り街頭のある道を通り、ついに到着した土地は特に特徴のない中層階級の住宅街でした。お客さんは熟睡されており、全く起きません。
仕方なく、お客さんのご自宅のインターホンを鳴らします。
すると、初老の女性が玄関から現れたので、事情を説明しました。女性は平謝りをして、お客さんを自宅に担ぎ入れます。

後にネットの記事で知ったのですが、どうもお客さんは小説家だったそうです。偶然にもお客さんの顔と送り届けた家の表札から見出し記事の写真と特集される人物名に見覚えがあり、見つけることができました。記事には、人が死ぬことはない、必ずハッピーエンドで終わる物語しか書かない主義だったようですが、編集者のディレクションで主人公が死んで物語が終わる小説を出した直後であり、出版社と一悶着あったとか。

振り返るとなんてことはない話なのですが、お客さんを乗せていた約一時間半の時間は、どの小説よりもスリリングな時間を過ごしていたことを、私は忘れられません。

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