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東京での創業の地は東池袋<その2>YMTハイム

森田ビルについて触れた記事のつづき---

創業のビル、森田ビルでは夏を越せないということになり、我々はすぐにオフィスを探すことになったのですが、何せ予算もなく信頼もなく。

不動産屋からは過去三期の決算書を出してくれと言われたりして門前払いばかり(ある訳ないの知ってくせにッッ!!!)

当時は大阪に会社の本籍もありましたし、なんか怪しい、この会社。。。ということなのでした。

更にはお金もなく、時間もなくどうしたものかと、東池袋3丁目をうろうろしていた時に目に飛び込んできたのが、YMTハイムというマンション。森田ビルから歩いて3分以内。

水洗のトイレがあってクーラーがあればそれだけで80点!などと言いながらマンションの張り紙に書いてある豊川商会という業者さんに問い合わせ。そのまま内見に進んだのですが、来たおじさんが、豊川一雄という名の金縁眼鏡でダブルのスーツでパンチにサングラスのおじさん。

初見はめちゃくちゃ怖かった。明らかにこわもての感じで恐ろしかったんですが、話すとものすごいおしゃべりでかっこいいおじさん。勢いのある丁寧語にグラサン越しに見えたつぶらな瞳に僕はほれ込みそうになりました。

僕は、豊川のおじさんに正直なところを話して、登記住所が大阪であることや僕が会社に住むことなど話したら、開口一番。

この近隣は銭湯は2件あります。知っていましたか?と来たもので、1件は知っているんですがなんて話すともう1件を教えてくれるし、コインランドリーの場所から、安くて美味しい食堂の場所など一通り講義してくださり一言。

「橋満さんの大阪弁が気に入った。私が関西出張したときはそれは楽しいことばかりでした。あなたたちなら安心です。社歴なんかは関係ありません。私は人で選びます。私が責任を持って大家さんを説得して来ます!」

翌日には審査OK。自主的に敷金も1か月安くしてくれた。

商売というのは、根幹は人なんだ、と心底感じることができた瞬間でした。

豊川のおっちゃんのおかげで我々は登記上は怪しい会社でしたが、何とか人並みのオフィスを借りることができました。このオフィスでも様々な思い出がありますが、オフィスを借りた初日に役員全員でお泊り会をしたこと、バンダイナムコさんからお花をいただいたこと、そして、人が増えて、このオフィスを退去する際、豊川のおっちゃんが寂しそうに色々と調整をしてくださった時のこと。次のオフィスももちろん仲介は豊川のおっちゃん。

東池袋のパレドールへ。

豊川のおっちゃんはきっと、僕らの転居、そして今を見れば喜んでくださったであろうと思います。そして、生きていれば、おっちゃんに今でもお世話になっていることだけは間違いないと思います。おっちゃんとの最後のことは僕のブログにちょっと書かせていただいております。

東池袋にあった豊川商会の豊川一雄さんのことはこれからも生涯感謝し続けると思います。

人間は良いときには誰でも助けてくれます。けれども厳しいときにはなかなか助けてはもらえません。おっちゃんは、一瞬でこいつら助ける、と決めて助けてくれた人です。株式会社アールアールジェイの恩人であり、やさしく強い豊川のおっちゃんの笑顔を思い出し、僕はちょっと泣きそうです。


創業15周年を迎えましたので一区切りという事で昔語りをさせて頂きます。宜しければご覧くださいね。