生きる

生きるとはどういうことなのだろうか、とふと思う時がある。

なかなか自分を好きになれない

自分を信じることができない

何をして生きていけばいいのかわからない

と悩む人はたくさんいると思う、自分もそうである。


どんなに技術が発達しようとも悩みはなくならない

先人たちも扱うものは変わっても悩んできたはずだと思い

本屋やネットでいろんな本を探し、読みあさった

自分1人が悩んだことなど過去に誰かが悩んできたはずだ

いつかは何かをみつけれると少しずつではあるがいろんな本を読み進め、いろいろ試した。

メモ書き、瞑想、修行、マインドフルネス、運動、ヨガ、リラクゼーションミュージック、散歩、カーネギー など

ある本に知覧に行けと書かれていた。

悩んで家でうじうじしていても何もかわらない

とはいってもよくだらだらしていた。。。。

チケットをまず予約した

鹿児島 知覧 特攻平和会館

自分なりに想像してみた、特攻隊、、、、、重い話だろうな、自分の悩みなどちっぽけなんだろうなと思うのだろうなと

鹿児島空港からレンタカーを借り、知覧まで1.5h

そんなに遠くはない

知覧にちかづくにつれて久々の運転なのか、ふと何か思いにふけっていたのか、高速の出口を降りそんじた

が10分程度の遅れで済んだ

到着し、まず昼食をとった。

携帯の充電がなくなりかけており、レストランのスタッフさんに携帯を充電させてほしいと頼むと、快く承諾をもらえた。

出発からあまり人と話していなかっせいか、人の温かさを感じた

食後早速、特攻平和会館に向かった。何か少し覚悟のようなものを持ちながら。

広島の原爆ドームを思いうかべたが中に入ってみると少し違った

そこは特攻隊員の写真や遺言がずらりと展示されている。

特攻隊員はみな20歳前後である。

そこは選ばれた少年たちの志のようなものを感じた。

この言葉があっているのかはわからない

いい言葉が思いつかない

あどけない顔がほとんど

自分の中学・高校を思い出してほしい。

自分の命は永遠のように感じ、まだ50年以上あり、今の5倍は生きるのは長いなーとでも思っていたのではないだろうか

明日命がなくなるという感覚はない

特攻隊員は17歳~21歳くらいの少年たちで、その写真には笑顔や決意がある

その中に明日出発というのに腕ずもうをなどで興じている写真もある

よく自分たちも中学・高校のときは教室で腕ずもうをしてあそんでなかったか

おにごっこをしてなかったか

しょうもないことでわらっていなかったか

この地に選ばれて集まった少年たちは

特攻という使命をうけながらも

その大切な時間をまるで基地の山の中で野外活動に参加しているように楽しんでいる

まるでまだ明日、明後日とまだまだ生きていく気持ちで、今はそのある一部の時間とでも思える

こころのどこかには怖さや弱音があるが出していなかったと思われる

展示には彼らの遺書もある。遺書には

轟沈

国のため

母上様、父上様

征ってまいります

大変幸せです

お元気で

お体を大切に

弟妹をよろしく

親孝行ができず

このような言葉が書き記されている。

重い。明日死ぬというのにこのような言葉がでてくるのか。

少し泣きたくなる。

誰がここまでこの少年たちを押しやったのか。

急に選ばれ、親元を離され、数か月訓練し、飛び立つ。

毎日は忙しく、思いにふける時間もない、弱音もはけない。

弱音や愚痴は教官に見つかっては怒られてしまう。光栄と思えと。

ただ展示されている写真には笑顔もみられる

少年たちは明日特攻で死ぬことをわかっていて

今この時間でできる楽しみを見つけて楽しんでいたのだと思う


これらから感じ、思ったことは

あれがあれば、こうあれば、

よかったのにな

なやまなくてよいのにな

と思うが、そうではなくて今あることで楽しむことが良いのである

お金があればいろいろ楽しめる

確かにそうであるが一人でそれをして本当に楽しいのだろうか

すべてやり終わった後に語り合える人がいるとさらにたのしのではないだろか

特攻という全国から選ばれた少年たちは、誰も知らない状態でやってきて

同じ境遇で集まった仲間を作った

人はおなじ境遇だと、認め合い、仲良くなり、与えられた条件の中で楽しんでいけるのだと思う

展示されていた写真でもそう感じれる



人は 

”今、このとき、与えられたことで楽しむ” 

ということが生きるということではないだろうか

これがメッセージと感じ取った

ないものを望んでも手に入りにくい

簡単に手に入ってしまうとありがたみを忘れる


特攻の母、鳥浜トメさんのメッセージにこうある

”なにかあなたにしなければならないことがあって生かされているのだから”

生きていればいろんなことができるのだ

その中で人は人とつながる、苦しむ、助け合う、楽しむ

この循環の一つになるのだとおもう

この一つにみななっているのだ。

この循環が世界で回っている

やり方、環境、もの、人はそれぞれちがっているが回っている

展示されている写真はみな強い意志を感じ、弱音を吐いているように見えない

そのいっときを楽しみ、愛され、覚悟し、征く


またトメさんの話の中でホタルという言葉がでてくる。

特攻に行った人がその後ホタルになって帰ってくるという話だ。

僕は違う意味とも受け取った

何かの偶然でこの場所に集まり、みなそれぞれの光を放ち、この場所を輝かせ、後世につないでいるのかもしれない

人はそのとき与えられたもので人とつながり楽しんで生きて、人・地域を輝かせていくのではないだろうか。


僕は戦争をしらない。解釈が間違っているかもしれない。これを読んで気分を害される方もいるかもしれない。申し訳ないと思う。

ただ

”知覧”

ここは何か生きることに対して考え直すいいスタート地点だと思う。




<参考>

知覧におとづれたときにはホタル館にもいってほしい。

特攻の母とよばれていた鳥浜とめさんとかかわりが深かった隊員たちとの思いでが残されている。

当時特攻隊員のための食堂で働いていたとめさんは親元を離れてきた特攻隊員たちを自分の子供のように大切に、そのとのときまで世話をしてくれていたのである。


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