だれも悪くない希望
以前のnoteで、こんなことを書きました。
声にならない小さな信号に耳を傾けます。このことを繰り返すほどに、悪者なんていないという絶望が募っていくのです。でも、なぜ、悪者がいない世界が、平和にならないのでしょうか。
この世界には意味がない
だれか悪者を倒したら、この不条理な社会を終わらせられると思っていたのに、ラスボスなんていやしないし、なんなら敵だと思っていた存在も苦しんでいたし、もうどうしたらよいかわかんないし、ほんといやんなっちゃう。
この「だれも悪くない絶望」は、その先がない「奈落」に突き当たってしまったことによって起こりましたが、それはつまり、「悪者のせいで社会が悪くなっている」という最後に信じていた条理が失われた瞬間でもありました。言い換えれば、「世界に意味がない」という風景に立会させられたということです。
その視点場に立たされて、何をすればよいか。幻想を持ち出して、現実逃避をするのもよいかもしれない。絶望の淵に埋もれて、眠りにつくこともあるかもしれない。「意味なんて元よりない」と諦観的な立場を採れたら、気高く自由に生きられたかもしれない。それでも自分は、社会の不条理に同意することができないでいて、不自由から水面に輝く光を見上げていました。
クロノトリガーのような仕事がしたい
さらに以前、こんなnoteも書きました。ここに登場する「ぼやく旅人」こそ、5月22日のオンラインイベント(公開取材)に出演してもらった反町恭一郎さんです。
課題は多く残りましたが、反町さんを含む参加者の方々に助けていただきながら、なんとか第1回を終えることができました。
反町さんの話で、結局印象に残っているのは、「だれも悪くないのに、死にたくなる社会へ絶望」したのにもかかわらず、社会の不条理に同意せず、意味を探ろうとしているところです。
出会って1年も満たないのに、まして考え方にも大きな違いがあるのに、多くの時間をともにしたのは、奈落から見た景色がにわかに信じられないほど似ていて、そこで「意味のない世界の立会人」をさせられたという共通体験なのでしょう。ここにもあるように、「奈落の底に足がつかないと、ジャンプしようとした時に、脚が踏ん張れない」という感覚は、自分にもあるように思います。
わたしたちは、その夜、ストロングゼロを飲みながら、「おれらだって、クロノトリガーのような仕事がしたいよ」と語り、彼が「(文章を書きながら)いいこと言ってると思うんだよなー」とぼやいたのは、おそらく申し立てが撃沈して「死んでしまうとは情けない」になっていたのでしょう。
それでも、立ち上がって、意味を探しに行く。教会に100G払って、再び冒険に発つ。それは、悪者を倒す旅ではないけれど、「世界に意味なんてない」と突きつけられた世界で、そんな不条理にも同意せず、だけどたまには前に進めなくなりながらも、旅の途中で鮮やかな人たちと出会って、いろんな意味を交換しながら、今日も今日とて世界の意味を探しにいくというのは、よっぽど、クロノトリガーのような仕事なのではないでしょうか?
だれかを倒すゲームはやめた
「だれも悪くない希望」というタイトルで最初に書こうとしていたことは、政治的(あるいは、社会的)に難しいことは、①過去の否定(存在意義や立場を消失させるから)/②苦しみがともなう決断(支持されない決断だから)であるが、COVID-19のせいにしてしまえば、それが、不可能が可能になる。まるで「妖怪のせい」のように。これは、悪者がいない希望ではないか。ということでした。
でも、この話はやめよう。
こうした不健康な話も時として必要だと思うが、今日は毒も皿も食べなくてよい話がしたい。だって、こんなにもいろんな人たちと出会い、鮮やかな意味の交換をしているではないか。今日は、先輩編集者に2時間以上も時間を頂いて、思考の創造に付き合ってもらったんです。「政治と編集」は、似ている。どちらも頭を下げて歩く仕事で、政治家も編集者も「暇である」ほど仕事がうまく行っているということだ。まじ慧眼。今日もよい話が聴けました。明日も旅を続けていく。必ず死ぬ人生、自分の命より大事なものを探して。
「だれかを倒す」ゲームに絶望し、「だれかと出会う」ゲームに希望を抱いています。悪者がいないのなら、だれであったって知り合い、やりとりを重ね、あたらしい意味を見いだしてゆける。意味がないと突きつけられた世界に、あたらしい意味を描いていくことができる。
そう考えると、2回目の公開取材ともつながってきます。
多くの問題は、「知らない」ということによって起きていないか。若者とお年寄り、日本人と外国人、経営者と労働者、政治家と国民、彼氏と彼女、それぞれが、それぞれ知ろうとしないことで、悲しいことが起きていやしないだろうか。
旅は、「知ろうとしていないもの」と出会う機会をもたらしてくれます。わたしもゲストハウスを切り盛りしながら、知ろうとしていない人と偶然に出会い、多くの意味を受け取りました。
「この世界に意味がない」と絶望しましたが、意味はあたらしく見いだしていくことができます。倒すゲームから出会うゲームに変われば、すべての人と意味を見いだせます。会心の一撃で、一発爽快に解決はしません。だけれど、一つひとつの異質と出会い、咀嚼し、反芻し、一歩ずつ冒険を続けていけば、社会の不条理だって、すべての人と少しずつなくしていけます。
それが、だれも悪くない世界の希望です。
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