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『稲盛和夫一日一言』 6/29(木)

 こんにちは!『稲盛和夫一日一言』 6/29(木)は、「リーダーの使命」です。

ポイント:リーダーは、自らの言動に人間として恥ずべきところが少しでもないか、常に厳しく自問していかなければならない。リーダーを先頭に、一人ひとりが人間として正しいことを追求していくことで、社会全体のモラルが向上し、健全な社会が築かれていく。

 2016年発刊の『稲盛和夫経営講演選集 第5巻 リーダーのあるべき姿』(稲盛和夫著 ダイヤモンド社)の中で、リーダーにとって必要なことについて、稲盛名誉会長は次のように述べられています。

 「人格」とは、人間が生まれながらに持っている先天的な「性格」が、その後の人生を歩む過程で、後天的に磨かれて出来上がっていくものだと、私は思っています。
 先天的な「性格」は人それぞれですから、人生の途上で何も学ばず、新たな要素を身に付けることができなかったとすれば、もともとの持って生まれた「性格」が、そのままその人の「人格」になってしまいます。そして、その「人格」が、その人の持つ「才覚」の進む方向を決めてしまうのです。

 そうすれば、どのような事態が起こるでしょうか。例えば、生まれながらの「性格」がエゴイスティックな人が、ある組織のリーダーとして素晴らしい「才覚」を発揮したとすれば、いったんは成功を収めることができるでしょう。しかし、「人格」に問題がありますから、いつしか私利私欲に走り、不正を働くことになるかもしれません。
 逆に、生まれつきの「性格」が至らないものであったとしても、その後の人生で素晴らしい聖賢の教えに触れ、人間として正しい生き方を学んでいくならば、その「性格」は後天的に磨かれ、やがて素晴らしい人格者になることもできるはずです。

 誰しも持って生まれた「性格」が完全なわけではありません。だからこそ、素晴らしい哲学や宗教を繰り返し学ぶなどさまざまな取り組みを行い、その教えを自らの血肉とすることを通じて、「人格」を高めようと努力する必要があるのです。
 特に、多くの社員を雇用し、社会的な責任も大きい経営者には、率先垂範自らの「人格」を高め、維持しようと努力することが不可欠なのです。

 リーダーに必要なことは、「人間として正しい生き方」を繰り返し学び、常に理性にとどめられるよう努力することです。また、「人間として正しい生き方」に反したことを行っていないかどうか、厳しく自問し、日々反省をしていくことも大切です。(要約)

 今日の一言には、「あらゆる分野で、リーダーと呼ばれる人々を先頭に、一人ひとりが人間として正しいことを追求するようになってはじめて、社会全体のモラルが向上し、健全な社会が築かれていくのだと思います」とあります。

 この意味するところは、「リーダーには、自身の身を正すだけにとどまらず、社会全般の規範となるべく、己の欲望を抑制できる強い克己心と、集団の活動によって得られた成果を社会全体に還元することで、より健全な社会の実現に貢献するという利他の心も備わっていなければならない」ということです。

 世の中には、さまざまな「リーダー論」「リーダーシップ論」があふれていますが、それらを単なる方法論として学ぶだけでは、その内容を血肉化することはできないように思います。

 人間の言動の根幹にあるのは、人間性であったり、人生観といったものです。日常的には、仕組みや理性で抑え込むことができたとしても、修羅場といわれるような極限状態に陥ったとき、その人がどのような振る舞いをするかを見ればその人の本性が見えてきます。

 哲学者の森信三さんは、『1日1話、読めば心が熱くなる365人の生き方の教科書』(致知出版社)の中で、次のように述べられています。

 人を知る基準としては、第一には、それがいかなる人を師匠としているか、ということです。(中略)
 翻って考えるに、もろもろの点は、結局は一つの根本に帰するかと思うのです。例えば、自分の一生の目標を何に立てるかということも、結局はその人が、師の人格に照らされて初めて見出されるものであって、人間は師を離れては、生涯の真の目標も立たないと言っていいでしょう。
(後略/要約)

 先賢の教えであれ、敬愛する上司であれ、自分にとって「師匠」と仰げる人がいるかどうか。それによって自分が目指すべきところも変わってくるのではないでしょうか。

 自分が生きている間に、「守破離」のステップを踏んだ修行を繰り返し、少しでも自分の魂を磨いていく。そうした気持ちを失うことなく、これからの残りの人生を生きていければと思っています。


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