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『稲盛和夫一日一言』 4月11日

 こんにちは!『稲盛和夫一日一言』 4月11日(木)は、「判断基準の原点」です。

ポイント:判断基準の原点は、小さい頃に両親や年長者からしつけられた、人間として最も基本的な教えをベースとした、プリミティブな規範。

 2004年発刊の『生き方』(稲盛和夫著 サンマーク出版)「第2章 原理原則から考える」の中で、人生も経営も原理原則はシンプルがいいとして、稲盛名誉会長は次のように述べられています。

 人生も経営も、その根本の原理原則は同じで、しごくシンプルなものです。よく経営のコツや秘訣を聞かれることがあるのですが、私が持論を述べると、「そんな簡単なことは知っている、そんな原始的なことで経営ができるのか」と、みなさん怪訝な顔をされます。

 私が悩んだ末に行き着いたのは、「原理原則に従う」ということでした。すなわち、「人間として何が正しいのか」というきわめてシンプルなポイントに判断基準をおき、それに従って、正しいことを正しいままに貫いていこうと考えたのです。

 嘘をつくな、正直であれ、欲張るな、人に迷惑をかけるな、人には親切にせよ・・・そうした子どものころに親や先生から教わった、人間として守るべき当然のルール、人生を生きていくうえで先験的に知っている、そうした「当たり前の規範」に従って判断する。
 人間として正しいか正しくないか、よいことか悪いことか、やっていいことかいけないことか。そうした人間を律する道徳や倫理を、そのまま経営の指針や判断基準にしよう。


 つまり、人生も経営も、同じ原理や原則に則して行われるべきだし、また、その原理原則に従ったものであれば、大きな間違いをしなくてすむだろう、そうシンプルに考えたわけです。
 それゆえ、迷うことなく正々堂々と経営を行うことができるようになり、それがその後の成功にもつながっていきました。

 人生を歩んでいく途上では、至るところで決断や判断を下さなくてはいけない場面が出てきます。仕事や家庭、就職や結婚など、あらゆる局面において、私たちは絶えずさまざまな選択や決断を強いられています。
 生きるということは、そうした個々の判断の集積であり、決断の連続であるといってもいいと思います。

 すなわち、そのような判断を積み重ねた結果がいまの人生であり、これからどのような選択をしていくかが、今後の人生を決めていくわけです。したがって、その判断や選択の基準となるしっかりとした原理原則を持っているかどうかで、人生の様相はまったく異なったものになっていくはずです。

 指針なき選択は、海図を持たない航海のようなものであり、哲学不在の行動は灯火もなしに暗い夜道を進むようなものです。哲学といってわかりにくければ、自分なりの人生観、倫理観、あるいは理念や道徳といいかえてもいいでしょう。
 そうしたものが、いわば生きていくうえでの基軸となり、迷ったときに立ち返るべき原点として機能します。

 原理原則に基づくしっかりとした哲学を定め、それに沿って生きることは、物事を成功へと導き、あなたの人生に大きな実りをもたらすでしょう。
 しかし、それは決しておもしろおかしい楽な道ではないはずです。なぜなら、哲学に準じて生きるということは、己を律し、縛っていくということであり、むしろ苦しみを伴うことが多いからです。

 守るべき哲学と苦を承知で受け入れる覚悟、そうしたものが自分の中にあるのかどうか。それこそが、本物の生き方ができるかどうか、成功の果実を得ることができるかどうかの分水嶺になるのではないでしょうか。(要約)

 「判断を積み重ねた結果がいまの人生を形づくっている」というのは、まぎれもなく真実だと思います。
 年齢を重ねていくと、どんな人であっても己の人生を振り返る機会が増えてきます。そんなとき、「あのときもっと踏ん張っていれば、別の人生が開けていたかもしれない」とか、「あそこが人生の分岐点だったのでは」と感慨深い気持ちになることがよくあります。

 誰であっても、自分の過去は取り戻せませんし、己の人生をやり直すこともできません。「あのとき、どうしてあんな判断をしてしまったんだろう」といった後悔を残さないためにも、人生のできるだけ早い時期に、自分なりのしっかりとした判断基準、哲学を持つことです。

 すでに人生の第四コーナーを回ってしまった前期高齢者の戯言(ざれごと)だとスルーしてしまうことなく、「自分の判断基準の原点は何なのか」といったことにしばし思いを巡らせてみる。
 長い人生を生きていくうえで、そうした時間を持つことはとても大事なことなのではないでしょうか。


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