『稲盛和夫一日一言』2/20(月)
こんにちは!『稲盛和夫一日一言』 2/20(月)は、「インスピレーションの源 ②」です。
ポイント:人はインスピレーションを外に求めがちだが、自分の内に求めて可能性をとことん追求していくことで、想像もつかないような革新を図ることができる。
1989年発刊の『心を高める、経営を伸ばす』(稲盛和夫著 PHP研究所)の「真の創造に至る」という項で、稲盛名誉会長は次のように述べられています。
哲学者の故田中美知太郎先生(元京都大学名誉教授)が「発明発見のプロセスは哲学の領域だが、それが理論的に解明されたときに科学になる」と言われたのを聞いて、私は大変な感銘を受けました。
これは、真の創造と科学の世界ですでに解明されている常識との間には大きなギャップがあり、それを超えた飛躍によって生まれる発明発見は、精神的活動領域の産物である。つまり、科学的常識をいくら積み上げても、真の創造には至らない、と言われているわけです。
天動説が常識だった時代に、ガリレオは地動説を唱え、厳しい弾圧を受けました。この地動説は、彼の「われ思う」という哲学、信念でしたが、後にそれは証明され、初めて科学となりました。
創造とは、今ある科学的常識を積み上げただけではない、そこを飛躍したインスピレーションから始まる。そして、そのインスピレーションが哲学を形成し、それが証明され世に受け入れられて初めて科学の領域となる。
インスピレーションは、非科学の中に創造の端緒を見い出す源なのです。(要約)
イタリアの天文学者ガリレオ・ガリレイは、地動説を唱えたことからカトリック教会に異端とみなされ、自説を捨てるよう迫られてやむなく従ったものの、「それでも地球は回っている」と小さく呟いたとされています。
この出来事は、科学に対する権力からの弾圧の象徴としてよく引き合いに出されますが、実際のところガリレオは、全ての役職を解かれて軟禁され、外出及び著作発行を禁止されるという厳しい制裁を受けたとされています。
「我思う、故(ゆえ)に我在(あ)り」
これはフランスの哲学者で「近代哲学の父」といわれるルネ・デカルトの有名な言葉ですが、「世の中のすべてのものの存在を疑ったとしても、それを疑っている自分自身の存在だけは疑うことができない」といった解釈がなされています。
今日の一言では、「私はインスピレーションを内に求める」とあります。デカルトの言葉にあるように、自身が存在していることだけは疑いようのない事実であるとすれば、その自分の内に求めて出てきた信念にまで高まった思い、哲学というものは、誰にも潰せるものではないと思います。
とかく自信がないときほど、周囲の意見や文献などの情報に頼ってしまいがちですが、心の中には、自ら考えたり実際にトライしてみて得られた結果を基に定めた方向を信じて進んでいきたいと願っている自分が、必ずいるはずです。
どんな苦難が待ち受けていようとも妥協せず、自らの正しいと信じた道をまっしぐらに進んでいく。そうした行動が、誰もが想像もしなかったところに自らを押し上げ、真の創造へと導かれる端緒を示してくれるのではないでしょうか。
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