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『稲盛和夫一日一言』 10月25日

 こんにちは!『稲盛和夫一日一言』 10月25日(水)は、「資本主義のモラル」です。

ポイント:資本主義は、厳しいモラルがあってこそはじめて正常に機能する。そのためには、資本主義の担い手である経営者が、誰から見ても普遍的に正しい経営哲学を確立し、自らを厳しく律していかなくてはならない。

 1998年発刊の『稲盛和夫の実学』(稲盛和夫著 日本経済新聞社)の「まえがき」で、稲盛名誉会長は次のように述べられています。

 日本の多くの経営者は、1980年代後半から始まるバブル経済の熱狂に踊らされ、過剰な投資を繰り返した。そのバブル経済は当然のごとく崩壊し、199年代初頭よりデフレスパイラルが始まった。その結果、現在ではあらゆる産業において不良資産が増大し、日本経済界は塗炭の苦しみの中であえいでいる。

 ではこの間、経営者は何をしていたのだろうか。経営のあり方を見直し、抜本的な対策をとろうとしたのは少数であり、多くは不良資産を隠し、業績の悪化を繕うことに努めてきたのではないだろうか。
 そのため、日本の企業経営はその不透明さゆえに国際的な信用を失い、多くの不祥事を生み出すことにもなったのである。

 もし、中小企業から大企業に至るまでの経営に携わる者が、常に公明正大で透明な経営をしようと努めていたなら、また企業経営の原点である「会計の原則」を正しく理解していたなら、バブル経済とその後の不況もこれほどまでにはならなかったはずである。私にはそう思えてならない。(要約)

 また、同著の「資本主義における会計の役割」の項では、次のように述べられています。

 日本の企業社会の中では、これまで表面化しなかった腐敗が露呈し始めている。しかし、それらは氷山の一角でしかなく、実は日本社会全体が腐敗しているのではないだろうか。つまり、誰もが何が正しくて何が悪いのかを考えることなく、単に自らの利益のみを追求し続けた結果、日本全体がきわめてモラルの希薄な社会になってしまい、社会全体が病んでしまっているのではないだろうか。

 そもそも、資本主義社会は、利益を得るためなら何をしてもいいという社会ではない。参加者全員が、「必ず社会的正義を守る」という前提に築かれた社会であり、そこに厳しいモラルがあって初めて正常に機能するシステムなのである。
 つまり、社会正義が尊重され透明性の高い社会が築かれてこそ、市場経済は社会の発展に貢献できるようになるのである。そのためには、まず資本主義経済を支えている経営者が高い倫理観を持ち、すべての企業がフェアで公明正大な経営を実践していく必要がある。

 不正を防止するという観点からだけではなく、企業の健全な発展のためには会計システムが不可欠であり、逆にそうしたものがなければ、いくら立派な技術力があろうと、また十分な資金があろうと、企業を永続的に成長させることはできない。
 京セラが順調に発展できているのは、確固たる経営哲学と、それに完全に合致する会計システムを構築することができたからだと考えている。
(要約)

 バブル崩壊直後の1990年代から続く「失われた30年」の間、日本経済は長期にわたって停滞、もしくは微増にとどまっています。その原因についてはさまざまな指摘がなされていますが、「世界的にみても、人々のやる気や働きがいが低い水準に落ち込んでいるためだ」との指摘があります。
 世界中の企業が市場で自由に競争するというグローバルな市場経済下にあって、そうした根本的な課題が解消されていかない限り、今後の日本は「失われた40年」に確実に突入する、との憶測も出ています。

 名誉会長は、「企業内の不正・不祥事をなくすには、まず経営者自身が自らを律する厳しい経営哲学を持ち、それを社員と共有できるようにしなくてはならない。そして、公正さや正義と言われるものが最も尊重されるような社風をつくり上げ、そのうえで一対一対応のようなシンプルな原則が守られる会計システムを構築、実行していかなければならない」と説かれています。

 私たち一人一人が、今一度資本主義社会の一員であることを自覚し、石田梅岩が残した「利を求むるに道あり」(利益を追求するにあたっては、人間として守るべき道理がある。また、正当な方法によって得られた利益であっても、その使い途は道理に沿ったものでなければならない)という言葉の意味をしっかりと噛みしめてみる必要があるのではないでしょうか。


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