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日々の幸福追求は人生の幸せには繋がらない

このタイトルに、そうでもないよ、と言いたくて文章を書いた。

先日、興味深い、幸福についてのネット記事を読んでのことだ。

優秀そうな海外の研究機関が、幸福についての調査結果を出したとのことだが、その内容は「日々の幸福を追い求めることは人生の幸せには繋がらない」と暗に示しているものだ。

おや、スッと入ってこない。

日々の暮らしで幸福を感じることが、人生や生活の満足度を高くする。

そう言われたら、至極当然のように思える。しかし、その調査結果は、目の前の幸福を高く評価する傾向にある人は、生活の満足度が低くなってしまうのだという。

理由は、目の前の幸福にこだわるあまり、ネガティブな感情を軽視してしまい、結果として生活の満足度が低下するような自体に陥ったり、自尊心が低下してしまう傾向が高いかららしい。

え?と思う方も、
当たり前だと思う人もいるだろうが、
大好物だからといって毎日コカ・コーラとビックマックを摂取しつづけ、性的衝動に駆られて時間とお金を浪費するような生活を10年も続けたとしたら、その日その日 ― あるいは刹那刹那 ― は幸せかもしれないが、確かに10年の結果として生まれるものは、ボロボロの内臓とスカスカの銀行口座なんだろうなと、腑に落ちてしまった。


では、日々の暮らしで幸福を感じずに、どのようにして人生や生活の満足が手に入るのか、という話になってくる。

ここからが私見であるが、まずは現時点で目の前にある幸福の正体がそもそも何であるのかを理解する必要があるのではないかと思う。

即物的な欲求を満たすものなのか
安全欲求を満たしてくれるものなのか
社会的な欲求を満たしてくれるものなのか

などのように、幸せの種類を分解してみるのだ。

目の前に対峙している幸せの根源が、例えば恋人や家族のような、愛のような形である場合、それは、今手を伸ばして手に入れたとしても、すぐに消えることはなく関係を保ち育む限りずっと続いてくれることだと思う。

一方で、満腹時のデザートなどのように、刹那的な快楽に身を委ねることになってしまうものは、今手に入れればずっと幸せが続くものではなく、その場限りで楽しさを感じさせてくれるものだろう。

もちろん、そのデザートを誰かと食べる、などのように他に目的や幸せの所在がある場合は別だと思うが、瞬間的な幸せを感じるものとそうでないものを分けてみることが重要だと感じる。

その場限りの幸せをつまみぐいするだけの日々であるならば、冒頭の調査結果が表すように、その毎日の幸せの獲得は「人生の幸せには繋がらない」のではないかと僕も思う。

ピンと来た方もいるかと思うが、この分類方法は「アウトプット大全」で知られる樺沢紫苑さんの著書「精神科医が見つけた 3つの幸福 最新科学から最高の人生をつくる方法」にて解説されているものを応用している。

幸せを感じている際に分泌されている脳内物質によって「幸せの種類」を大分し、幸せになるにはそれらをどう組み合わせて獲得してゆけばよいかを解説した書籍で、実に分かりやすく実践的だ。気になった方はぜひ読んでみていただきたい。

本件のネット記事では、毎日の生活の中で高尚な幸せを無理に追い求める必要はない、といったような、著者の調査結果を踏まえた選択観で締め括られている。
しかし、そもそもどんな幸せをなぜ獲得するのか?という一歩引いた視点で見てみれば、毎日幸せを感じながら人生を豊かにしてゆくこともできるのでは?と思ったために書いてみたものだ。

新しいものを得続けることで感じる幸せよりも、いま手にしているものを見つめることで感じる幸せの方が、僕はずっと大事だと思っている。

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※元記事や論文ではネガティブな感情を軽視せずに、将来の幸せのために積極的に行動することが推奨されており、主な論旨であるが、ここではその積極的な行動を起こすためのマインドセットを自分なりに意見として整理してまとめた。

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