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「今が一番幸せ」ってそれどこ基準

この日は将来の話をしている中で、過去と現在の暮らしぶりや二人の関係性を比較して「今が一番幸せだね」との結論に至った。10年一緒にいていまだにこんなこと言い合っているなんて、とんだバカップルだと自分でも思う。

忘れたくない瞬間は忘れたくないのに忘れてしまう件についてより


「この先一生、死ぬまで、今日みたいに笑い合って仲良く生きていきたいね。」

あの夜の私たちはこのテーマで色々と語り合ったが、一番盛り上がったパートは、幸せの度合いってどう測るの?という問題提起だと思う。


私の日記には、「嬉しい」「楽しかった」「幸せすぎ、最高」「ありがたみを忘れていた、反省」みたいな、曖昧でふわふわした言葉たちがたくさん散りばめられている。
いや、むしろ内容の半分くらいはそういう単純な感情の表現で、残りは生活の骨子(食事・睡眠・仕事や用事)である情報の羅列で構成されているだろうか。


※生活の骨子が日記のベースになっている理由については、こちらのノートに経緯と詳細を記載しているので、気になる方は参照してくださいませ。


そう言ったふわふわした感情を残した言葉は、数値化がほぼ不可能だ。

例を挙げてみよう。
「ランチ楽しかったー!100点満点中95点くらいかなー!」

こんなこと書いてある日記は嘘だと思う。
不満もないのにお前はどこで減点した。相手に失礼にも程がある。

この場合、素直なその時の感情で書き綴るとしたら、こうだろう。
「ランチ楽しかった!最高!また行きたい!!」

数値化しなければ、という潜在意識に引っ張られ、大満足でも、今後のもっと満足であろう瞬間のために余地を残して、なんとなく−5点。
その日、本当の意味でマイナスな出来事がなかったとしても、ランチという日常のシーンだから。これ以上の幸せは多分あるだろうな、と思ってしまうから。

これは色んな意味でもったいないことだと思う。

ただ「楽しかった」とだけ書けば、変に比べることもなく、書きながらもその幸せな感情に純粋に浸れるから。

では、それを無理やり比較して、数値化するとどうなるか。

書くときには「あの時ほどじゃなかったな。」となり、読み返すときには「あー95点ね、何か気になることあったっけ?思い出せないけど。」となる。

こうして、書く瞬間に改竄された記憶が「日記に残っているその時の素直な気持ち」になり変わってしまう。そもそも当時の感情を率直に書いてこその日記なのに。これでは本末転倒だ。


そういうわけで、感情の数値化は困難であるわけだが、そうすると「今が一番幸せ」という言葉の信憑性はあまりにも乏しい。そもそも幸せの度合いが測れないわけだけど、何基準で一番幸せなの?と自分たちに問いたい。


というのも、私たちはよく「この時間が一番幸せだよね」と無意識に言い合っているからだ。
それも、どうでもいいような日常の中で。


例えば、ある金曜日。
夕食後片付けをしていると、後ろから彼がハグしてきた。そうやって妨害してくるのはお決まりで、日によって彼の気が済むまでそのままでいたり、短気な日は攻防の末自由を勝ち取ったりと対応は様々なのだが、その日はなんとなく彼の方をぐるりと向いて、ぎゅーーーっとハグし返した。

少し背が高い彼の顔を見上げると、とても優しい顔で微笑んでいる。
嬉しくなって私が笑顔になると、彼はもっと笑みを深める。
そうやってしばらく突っ立ってニコニコしあっていると、どちらともなく「幸せ」「こういうのが一番幸せ」という言葉がポロリと出てきたのだった。


もちろん、同じようなシチュエーションでハグをし返しても、必ずしも毎回こんな会話をするわけではないのが面白いところで、日によって相手の反応も表情も違う。ハグし返したら脇をくすぐられてケンカになったりもする。

なので「彼と向かい合ってハグすること」という事象そのものに「一番の幸せ」があるわけではない。あくまで、たまたまその時そんなシチュエーションでその幸せを感じただけであって。


幸せの度合いは測れない。では「一番幸せ」って言葉は一体なんなのか?


その答えはなんとなくだけど、幸せな気持ちがばーっと溢れた瞬間に、目の前に共有できる相手がいたら、単に「幸せ」じゃなくて「一番幸せ」って言っちゃうというだけな気もする。

感嘆符のような、修飾語のような。
自分の心から自然と溢れる感情を、感動を、温度感までできるだけちゃんと相手に伝えたくて、それは単に幸せってだけじゃなくて、なんていうかすっごい幸せ。一番幸せ!みたいな。

逆に一人で静かに噛み締めるような類の幸せには、わざわざ「一番」なんてつけない。しみじみと「は〜幸せだな〜」とか、「やった!!最高!!」みたいな、日記に書くような独り言になるだけだ。


誰かといるときに私たちが言う「あなたといるのが一番楽しい」が、本当の意味での「一番」ではなく「楽しいの中でも上位の部類に入る、一番クラス」という意味であるように、日常的に使う「一番」という言葉は、「あなたが一番だよ」って聞かせたい相手があってこその言葉だなあとしみじみ思う。

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