見出し画像

何となくの空気感で物事を決定するのは危険なのでは?

本記事は無料公開となっております。youtubeでの情報発信もおこなっておりますので、よろしければチャンネル登録よろしくお願いします。

GoToトラベルの停止だったり緊急事態宣言だったりと国民の顔色というか支持率を伺って後出しみたいな形で物事が決まる動きに疑問を最近感じる。確かに他者の意見を聞くことや受け入れるといった行為やマインド自体は悪い事ではない。ただ、あまりにも流されすぎてはいないかとも同時に感じている。エビデンスが無いというか何となくで国に方針がコロコロと変わっていく様はさすがにどうなのだろうか。エビデンスが無いにしても専門家は以前より声を上げていたが、それは知らん顔してきた事実がある。専門家に対しては政治家としての信念があるのかプライドなのか不明だが国民の顔色でコロコロと意見が方針が変わる。もちろん、国民主権であり国会議員であれば国民の代表である為悪い事ではないのかもしれないが、こんなにぐらつかれるのはさすがにどうなのだろうか。

この何となくの空気感で物事が決まる事は現状の政府だけでなく、我々の日常生活においても同様だろう。先程も述べたように他者の意見や考えを聞く事、受け入れる事だったりする柔軟性は必要な要素。結局個人であれば自身で思考できる範囲、見えてる世界には限度がある。時間は1日24時間しかないし、目は2つしかない。睡眠時間が極端に短いとか速読ができるとか差があったともしても限りがあるのは事実。それが人間という生き物に生まれてきた宿命である。また、今の時代はスマホ1つで様々な情報を得られる、多くの方々の意見を良くも悪くも見聞きする事ができる。その中で自分だけでは得られない、思考できない部分を補完できる環境が整ってるわけだからこそ、それを活かす方向に注力すべきなのではないかと思う。

いわゆる直感であったり、過去の成功体験だったりというエビデンスが無いものや何となくでの思考や判断は非常に危険。全てにエビデンスを準備するのは難しいのは百も承知。それでも何かしらの材料があるのと無いのとではその後の対応にも違いが出てくる。いわゆるフィードバックだったり改善だったりというのは何となくでやっていた場合にはほとんど意味をもたない。そして同じ誤ちを繰り返していくだけである。これは個人レベルであっても国レベルであっても大小なんて関係がないもの。だからこそ最近の何となくで決まっていく政府の方針や何となくで誰かを誹謗中傷しちゃうような社会には疑問を持ってしまう。

ただ、最終的にいえる事はこの文章自体にエビデンスがありますか?といえばほぼないだろう。何となくで書いてるわけではないが、あくまでも経験や事例から個人的に感じるといったものである。しかし、少なくとも1回目の緊急事態宣言から何を得たのかGoToトラベル停止でどうなったのか明確とはなっていないのではないか。また、個人レベルでいえば何かしらの問題で炎上した後に当人的には解決したとか改善したと口ではいうが、行動や結果が見えない事があったりしないだろうか。作られた常識は疑うべきだが、何となくではなく自身を納得させられるエビデンスは持つべきなのかなと思う。

この記事が参加している募集

最近の学び

サポートいただきありがとうございます。サポートのおかげで今後の活動につなげていきますので、今後ともよろしくお願いいたします。