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<無料公開>イチロー選手の引退会見について考える。

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イチロー選手が現役引退を発表。率直にお疲れ様でしたと述べたい。イチロー選手が日本だけではなく、メジャーリーグにおいても残した成績、功績は記録にも記憶にも残るものである。始まりがあれば終わりもある。しかし、イチロー選手の会見からは終わりではなく、新たなイチローを見せてくれることを期待させるものであったと個人的には思う。

契約的にはこの日本の試合までと決まっていたと会見でサラッと発言をしていた。確かに昨年の段階で選手登録は外れ、異例な状況で現役続行という本人のコントロールができない部分があり、未知の領域に突入していた部分は否めない。一流選手がこの年齢で試合から離れることのリスクは計り知れない部分があり、実際に練習は行っていても試合勘を完全に戻すことはできなかったのだろう。そこは今年の試合の打席を見ていても感じた部分である。

今回の会見で個人的に印象深いのは以下の内容である。
・貫いたことは野球を愛したこと。
・子供達に伝えたいのは野球に限らず熱中できるものを突き詰めろ。
・人より頑張ることはできないが、今の自分より少し頑張ることはできる。
・遠回りすることでしか本当の自分には出会えない。
・現役時代何かを我慢したことはない、僕は我慢できないので。
・出来るかどうかじゃなくてやりたいかどうかで挑戦すればいい。
・アメリカに行き「外国人」になったことで人の心を考えたりそれまで自分にはなかったことが芽生えた。

正直今回の会見だけで本を数冊出版できるのではないかと思えるほど濃密な内容であった。イチロー選手は常に自分自身と向き合い全力で戦ってきた。だからこそ、見れた世界があるのだろう。それは言葉にはできないもの。質問する人の質問内容の質によって引き出せた答えの質に差があったのはそれが原因だろう。

個人的にイチロー選手で印象に残っているのはWBCでのリーダーシップ。孤高の天才という印象が変わったのは他のチームメイトとの関わり方の部分。試合での結果は当然だが、そこに至るまでの勝ちに対する執念というものを感じさせたのはとても大きい。そして、そこからイチロー選手について詳しく知ることになった。

イチロー選手を知ることで「天才」という概念の考え方が変わった。「天才」とは努力を努力と感じない才能を持った人のことを指すのだということ。努力を努力していると考えるのは凡人であり、努力で成果を出せるのがいわゆる秀才なのだということ。これは野球やスポーツに限った話ではない。イチロー選手の会見は教育的な教材としても価値がある。そして最後に本当に夢と感動をありがとうございましたと伝えたい。

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