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「100日後に死ぬワニ」炎上論について考える

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「100日後に死ぬワニ」が遂に100日目を迎えて感動に包まれた。しかし、その後感動の渦から一気に落胆と批難の嵐が巻き起こった。個人的な意見を述べるならば、商業批判に関しては当然おこりうるリスクであった。ただ、バズるバズらないを問わずに作品を製作するにあたりマネタイズを考えるのは当然の流れであり、権利でもある。しかし、一番の批判されているのは電通案件であるか否かが問題ではなく、余韻に浸る間なく商業路線に走っている点だろう。

しかし、今回の炎上騒動においてなぜ批判がおこったのかが理解できてない形での「電通案件ではない」という否定の仕方は残念極まりない。「電通」であるか否かではなく、あまりにも用意周到過ぎる展開の仕方、なぜ終了と同時に多種多様なグッズや映画化などが決まってたのか、余韻に浸る間もなくおこなってしまったのかという点だろう。

実際に作品途中でグッズなどが販売されていたり、告知がされてたりすればここまで炎上とはならなかっただろう。純粋にマネタイズがされていれば批判はおこらなかっただろう。つまりは「やり方」が問題であったということ。もちろん、この批判に関してはネットの一部であり、ロフトなどを含めた全国的なグッズ展開などは予想通りとはいわなくとも繁盛はしているだろう。

また、現時点ではどこが裏で糸を引いているのかわからないが、少なくともロフトでの展開や多種多様なグッズ、いきものがかりとのコラボ、映画化などは素人には無理であるし、著名な方だとしても個人で作品を制作しながらできることではない。そうゆう部分が見透かされてしまったということだろう。しかし、今回の炎上騒動が先に忘れさられるのか、「100日後に死ぬワニ」の感動が忘れ去られるのかどちらが先となるかといえば炎上騒動だろう。

結局はやったもん勝ち、メディアと手を組んだもん勝ち。ムーブメントは自然と起こるのではなく、仕組まれて発生するのだろうと改めて感じる出来事だったのではないかと思う。そのムーブメントに乗るのか乗らないのかは個々人の判断。それは変わらない。だが、本当に面白い作品であれば「口コミ」で広がり、ここまで批判されることもなかったのかなとも思う。

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