見出し画像

生きる意味と無意味をめぐって◆三島由紀夫『命売ります』

三島由紀夫『命売ります』(1968年)

いくつも読んできた三島由紀夫の作品の中でも、圧倒的な読みやすさとユーモアがつまったこの小説は、私の大好きな作品の一つ。

なぜか暑くなると読みたくなり、毎夏のように再読しています。

今回はこちらの作品のご紹介と、すこしばかり考察をしてみます。

※ネタバレありますのでご注意ください。


あらすじ

広告会社でコピーライターとして働く27歳の山田羽仁男。

ある日行きつけのスナックで新聞を読んでいたところ、突然文字がゴキブリになりたちまち逃げてしまったように見えだし、生きることの意味を見失う。

睡眠薬での自殺を試みるも失敗した彼は、新聞に「命売ります」と広告を出す。

本作は、この広告をきっかけにさまざまな事情を持った依頼主たちと、命を顧みず案件をこなしていく羽仁男との物語です。

秘密組織に囲われた若妻の殺害、謎の麻薬の実験台、吸血鬼の愛人役、毒の塗られた人参スティックの暗号解読…など、次々に舞い込む風変わりな依頼。

そのどれもが確実に死をもたらすものだと思われましたが、目こぼしをくらったり、女に惚れられかばわれたり、持ち前の頭の良さで問題を解決してしまったりと、たびたび死を逃し続けます。

高額な報酬ばかりが溜まり、ついに新婚生活のような幸せまで手にしてしまった羽仁男でしたが、クライマックスでは本当の死の危機に直面します。

これまでの依頼主たちが揃いにそろって羽仁男を誘拐。実は秘密組織のメンバーである彼らは、羽仁男が「命売ります」の広告で自分たちをおびきよせたおとり捜査官だと勘違いしていたのです。

いよいよ間一髪というところで羽仁男は、事前に仕込んでおいた偽小型爆弾で彼らを脅し、なんとか逃走。

警察に匿ってもらおうと必死で訴えるも聞き入れてもらえず、一人涙をこぼすのでした。

+++++

 かなりざっくりとしたあらすじでしたが、これだけでも本作の皮肉な展開にお気づきでしょう。

人生の意味を見失い、恐れずに命を投げ売った男が、生き抜くための器量の良さと運の良さで死ぬことができず、最後には保護してくれ、と懇願するんですから。

三島由紀夫の小説の中でもかなり読みやすく、まさかのハードボイルドな展開やありえない設定がまた面白い作品となっています。


人生の無意味

広告会社でコピーライターとして働く羽仁男が、新聞の文字がばらけてしまうように見えたことで、生きる意味を見失ったという点は、注目すべきでしょう。

キャッチーな言葉で人々を購買に誘う広告の空虚さ。

本作の舞台は東京。大都会にあふれる広告、コピーの数々は、そのけばけばしさゆえに、むしろ中身のない空虚さが際立ちます。

本作ではその都会に生きる人間としての、諦めに似た絶望が次のように描かれます。

「なんか面白いことないか、と一千万人が顔を合わせれば挨拶がわりに言っている大都会の厖大な欲求不満(フラストレーション)。人生の無意義。情熱の消滅。喜びも楽しみも、チューインガムのように噛んでいるうちに、忽ち味がなくなって、おしまいには路ばたにぺッと吐き捨てられるほかはないたよりなさ。」

人口過多な東京では皆が飽きやすく、物事がただ消費されていくだけ。そんな街や人のつまらなさは、今の時代にも通じるところがありますね。


ゲシュタルト崩壊のイメージ

三島の小説では、ゲシュタルト崩壊のイメージがたびたび出てくるように思います。(この点、筆者が今後考察を深めたいテーマのひとつです。)

ゲシュタルト崩壊とは、認知心理学用語で、「全体性が失われ、各部分に切り離された状態で認識されるようになる現象」のことを指します。

同じ漢字の羅列をじっと見ていると、各パーツがばらばらに見え、こんな漢字だったっけ?と疑問に思う現象がそれです。

本作では、主人公が死にたくなってしまったきっかけが、まさにゲシュタルト崩壊の現象でした。

すると読もうとする活字がみんなゴキブリになってしまう。読もうとすると、その活字が、いやにテラテラした赤黒い背中を見せて逃げてしまう。『ああ、世の中はこんな仕組みになってるんだな』それが突然わかった。わかったら、むしょうに死にたくなってしまったのである。

羽仁男にはおそらく、世界を構成するきちんとして見えるものが、実は無意味な部分の集成によって全体が成り立っている、ということに絶望を感じたのでしょう。


しかしこのばらばらになってしまった個々は、ラストシーンで再び統合を遂げます。

命が助かり、警察に突き返された後、警察署の石段で煙草を吸う場面。

泣きたくなって、咽喉の奥がひくひくしていた。星を見上げると、星はにじんで、幾多の星が一つになった。

ゴキブリ文字ではなく、美しい星空に代わっていますが、崩壊し分解した塊は再び一つになったのです。

冒頭とラストで登場する、このゴキブリ文字と星空のそれぞれのイメージは、羽仁男にとっての生きることの無意味と意味を象徴した、対比的な関係になっているように思います。

個人的には、こうした感覚はどこか共感できるものがあるんです。立派に見える社会システムや法や会社や世界の仕組みが、弱くて脆い細部の集まりであると分かった時、力が抜けてしまうというか、あぁ、こんなもんなのかって。

もちろん、それで死のうとは思いませんが。笑


おわりに

長くなってしまいました。

三島由紀夫の小説には美しい比喩表現やユーモア、美や死への渇望と葛藤などが垣間見え、何度読んでも飽きない魅力があります。

上で述べたゲシュタルト崩壊のイメージは、実は他の小説でも出てくるので、おそらく三島にとっては何か特別な意味が込められているものと思います。

それについては、またいつか書いてみたいと思っています。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?