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小さい頃の神様と出会いなおすこと
「小さい頃は神様がいて 不思議に夢をかなえてくれた」
ユーミンの名曲、「やさしさに包まれたなら」の歌い出しです。すぐれた小説の書き出しにもありそうな、印象にのこる一節です。
わかるようで、よくわからない感覚です。神様とはいったい何のことでしょうか。大人の存在なしに生きていけない子どもの、自覚のない「守られている」感覚みたいなもの?親の無償の愛のことかしら。
歌詞にいちいち解釈を求めるのは野暮かもしれませんが、この歌い出しのことはなぜかずっと気になっており、自分なりにぴったりくる答えをなんとなく探していました。
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「神秘さや不思議さに目を見はる感性」
レイチェル・カーソンはそれを「センス・オブ・ワンダー」と呼び、そのたいせつさを訴えました。
ユーミンのいう「神様」とは、もしかするとこのセンス・オブ・ワンダーに近いものではないか、とはじめてピンときたのです。
本書は姪の息子ロジャーとともに海岸と森を散策した夏のひとときと、ゆたかな自然の息吹に触れたロジャーの反応を綴った、カーソンの遺作です。
彼女は海洋生物学者として生き物の不思議を探究し、農薬にふくまれる化学物質の危険性を説いた『沈黙の春』において、歴史上はじめて環境保護という命題へ向かって、人類の蒙をひらいた人です。
自然の息吹にふれることで、子どもの無垢な感性を刺激すること。子供と一緒に自然を探検し、「鳥の渡り、潮の満ち干、春を待つ固い蕾」といったものたちの美しさと神秘に触れ、人間という枠をこえた感覚の回路をひらくこと。それができれば、大人もまた人生に疲れて飽きたり孤独にさいなまれることはないと、カーソンは言い切ります。
本書を読んではっとしました。子供のころを思い返すと、誰と何をしたかという出来事よりも、手触りや味やにおいや目にしたものといったさまざまの感覚のほうが、はるかに鮮明に思い出せるのです。
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夏の海岸。海水にさらわれていく砂が足をあたたかく包み、くすぐってくるここちよさ。
つかまえたトンボの乾いた羽の麻布のような触感や、ぶるぶると震える胴体。
いくつもの船をこしらえては水に浮かべた、笹の葉のしなやかな繊維と青くさわやかな香り。
子供のころのこうした感覚はいまでもありありと覚えていて、挙げればきりがありません。
敏感な指先から得るあらゆる刺激や、目に見え耳に聞こえるすべてがおもしろく鮮烈だったこと。
その感覚こそがちいさな子どもの体を包みまもる不思議な力=神様のような気がするのです。
大人になるとこうした感覚はどうしたって失われてしまうものです。それは、仕方のないことだとも思います。身体が大きくなるにつれ、指先や地面から目線は遠ざかる。思考は複雑になり、いくつもの社会の編み目に絡めとられていく。勉強や生活や恋愛や仕事に頭と心はひっぱりだこで、いつの間にか自然への無垢なおどろきは、疲れた心の霞の向こうに隠れてしまいます。
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でもユーミンは「おとなになっても奇蹟はおこるよ」と言ってくれています。子どものころの繊細な感覚は呼び覚ますことができる。カーテンのむこうの静かな木漏れ日、雨上がりの庭のくちなしの香り。(泣きたいくらい素敵な歌詞だ)それらのやさしさに気づけたときに、子供のころそばにいた神様はふと姿を現します。その時、「目に映る全てのことはメッセージ」だったということに気付くのです。
もう一つ、思い出した文章があります。
「大事なのは、山脈や、染色工場や、セミ時雨などかからなる外の世界と、きみの中にある広い世界との間に連絡をつけること、一歩の距離をおいて並び立つ二つの世界の呼応と調和をはかることだ。たとえば、星をみるとかして。」
大人のいいところは、自らの中に世界を持っているところです。学ぶことを知っている大人は、まったく異なるように見えるものごと同士を結びつけ、考え、新しい視座を得ることができます。身のまわりの美しい自然のやさしさには、内なる世界のあれこれと響き合う何かがきっとあると思うのです。
疲れた大人がやるべきなのは、星をみるとかしてかつての神様とまた出会い、自然と心を響き合わせることなのかもしれません。
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