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ひかり薬局 潰れる

髪を切った。
何となく伸ばしていたもみあげ部分を、ツーブロックに戻した。本来の自分を取り戻した感覚がある。やはりもみあげはないに限る。
ついでに祖母とお茶をした。祖母は私が家に寄ると必ずコーヒーを淹れてくれる。そして喫茶店の薄いコーヒーを飲むぐらいなら、自宅で濃いコーヒーを飲んだ方が良いと毎回熱弁される。喫茶店は古くてタバコが吸えればいいと思っている私は、いつも聞き流しながらコーヒーを啜る。
祖母はおしゃべりだ。とにかくよく話す。実の娘たちにはあきれられて、まともに取り合ってもらえないので、たまに孫の私が相手をするのだ。まぁ基本的にはちゃんと聞いていない。特段面白い話でもないし、向こうも別に私の反応を期待しているわけではない。祖母は自分の話がしたいだけ、いうなれば壁あてのようなものだ。キャッチボールではない。今、3人いる孫のうち、頻繁に家に遊びに来るのは私だけらしい。祖父母にとってはそれが嬉しいようだ。私としては彼らの自宅兼店という空間が好きだし、そんなに喜ばれるようなことかとは思うが、祖父母孝行ができているのなら何でも構わない。これからもいい孫として足繫く通おうと思う。
帰り際に頭を下げて2万円貸してもらった。

夜は近所のラーメン屋に連れて行ってもらった。昔はよく連れてもらっていたが、最近はめっきり無くなっていた。久しぶりに食べるラーメンは懐かしい味そのものであった。夢中でラーメンを啜っていると、店主が祖母に向かって「ひかり薬局潰れるらしいですね」と話しかけた。麺を運ぶ箸が止まる。
ひかり薬局というのは、ラーメン屋の向かいにあるドラッグストアのことだ。物心がついた頃からひかり薬局はそこにあり、私たち一家はかなりお世話になった。そのひかり薬局が潰れるとは、なんとも寂しいことである。昔からある建物が潰れてしまったり、馴染みのある風景が変わってしまう時に、言いようのない悲しみを抱くのが私なのだ。

ラーメン屋を出たあと、久しぶりにひかり薬局に行ってみることにした。
ひかり薬局は、なぜか入口までにかなりの段数の階段があり、その横には大きなスロープが設置されているキモイ店舗だ。そして地下には小さな駐車場があり、子どもの頃からそこに入ることが何故かはばかられた。店内は1階と2階に分かれており、1階は薬と食品のフロアで、2階がシャンプーなど日用品のフロアだ。
祖父と妹とひかり薬局に行くと、祖父は階段を使うが、私と妹は子どもなのでスロープを使いたがった。階段とスロープ、どっちが早いかを毎回競争していた。我ながらなんとも微笑ましい記憶である。
かつての私が用があったのは1階のフロアで、2階に上がることはなかった。子どもの私が興味があったのは、お菓子売り場のみで、シャンプーや芳香剤が売っている2階はつまらない場所だった。しかし、ラーメン屋でたらふく食べた現在の私は、むしろ1階に用事はなかった。1階をぐるっと1周してから、2階へ向かった。
2階はがらんとしており、閉店間際という雰囲気が漂っていた。何列にも並んでいた大きな棚は撤去され、残った小さな棚には全品10%オフのシールが貼られている。閉店セールにしては、10%しか割引しないのはけち臭くないかと思ったが、昔からのよしみだ。許してやろう。
昔の記憶に触れた私は、少し感傷的になり、最後に何か1つ買って帰ろうという気持ちになっていた。借りた2万円で、だ。そういえばヘアワックスが少なくなっていたから買って帰ろう。そう思っていた矢先、好ましくない状況に直面した。猛烈な便意だ。しかも、3カ月に1回あるかないかの、ラスボス的なアレである。皆さんも経験があると思うが、神に許しを請う事しかできない系のアレである。ひかり薬局でこのラスボスと対峙するのは非常にまずい。なぜならこの店にはトイレがない。
正確に言えばトイレを貸し出していないというのが正解である。昔からなんでこの店はトイレを貸し出していないのかと、不審に思っていた。感傷に浸るために入った店で、なぜ便意きっかけで記憶を掘り起こされなければならないのか。そんなことを考えている間にも状況は悪化し続けている。「懐かしい」とか「寂しい」とかそんなことはとうにどうでもよくなっている。さっさとこの店を後にし、苦しみから解放されることが先決だ。
私の中で、感傷<便意という不等式が証明された。

苦しみながらも近くのコンビニに辿り着きすべてを済ませた私は、安堵した。ひかり薬局は潰れて大いに結構。跡地はでっかい公衆便所にでもしてくれればよい。

何故かIKEAの皿が売ってた、地元の店すぎ
踊り場が秘密基地感があって好きだった

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