ミズノフウタ

みんなで俺の事を理解しようぜ!

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アメリカに消されそうになった夏

去年の夏頃だったか。 僕はアメリカに消されそうになった。 僕はその日、ウーバーイーツで小銭稼ぎに勤しんでいた。 その日はかなり注文数が多く、汗水たらしながら愛車のズーマーで京都市内を駆け回っていた。 そろそろ帰ろうかと考えていたその時、また1件の注文が入った。 ウーバーイーツあるあるなのだが、そろそろ帰ろうと思っているタイミングで注文が入ることがよくある。別にその注文をキャンセルすればいいのだが、お金が発生するとなるとどうも気がかりで渋々注文を受ける。 その日も、「ふざけん

    • 嘘日記

      もうずいぶん長いこと散歩している。 今朝は私にしてはかなり寝坊してしまい、11時に起きてしまった。今日も一日の開幕と同時にSNSのパトロールを開始し、小一時間ほど無駄にしたところで身支度を始めた。身支度といっても今日は何か用事があるわけではない。朝起きたので歯を磨いて洗顔をし、寝間着を着替えるといった、人間の生活としてごく普通の行動である。しかし最近、何の用事もないのに朝の支度をしている自分は、もしかしてとてつもなくえらいのではないかと思ってきた。外に出ないのであれば、身なり

      • 11階

        また雨だ。 最近、梅雨でもないのに雨がよく降っている。雨は暗くてジメジメしていて、何より上空から水が降ってくるという意味不明の天気だから嫌いだ。雨という天気の異常性を「自然だから」という一点で片づけるのは少々無理があると思う。 加えて、今の私は本当に暇である。つい最近までいろんなことに追われており、同時に己の怠惰さを痛感するばかりであったが、忙しい日々というのは突然終わるものだ。やらなければいけないことが急に無くなったとき、人間という生き物は困惑する。 今朝から途切れることな

        • ひかり薬局 潰れる

          髪を切った。 何となく伸ばしていたもみあげ部分を、ツーブロックに戻した。本来の自分を取り戻した感覚がある。やはりもみあげはないに限る。 ついでに祖母とお茶をした。祖母は私が家に寄ると必ずコーヒーを淹れてくれる。そして喫茶店の薄いコーヒーを飲むぐらいなら、自宅で濃いコーヒーを飲んだ方が良いと毎回熱弁される。喫茶店は古くてタバコが吸えればいいと思っている私は、いつも聞き流しながらコーヒーを啜る。 祖母はおしゃべりだ。とにかくよく話す。実の娘たちにはあきれられて、まともに取り合って

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        アメリカに消されそうになった夏

          余計な心配症

          重度の心配性である。 それも起こる可能性が限りなく低い心配をよくしている。例えば、指先を少し切ったとしよう。おおらかで細かいことを気にしない性格であれば、指先を舐めて「ドジやっちまったよ」と恥じらい交じりのほほ笑みを一発かませば済む話だ。 しかし僕の場合、そこから人を殺しうる菌が入り込んで、腕がみるみるうちに醜く変化し、切断に至ってしまったらどうしようとか考えてしまう。自分でもそんなことあるはずがないとは思っているのだが、万が一を考え、ちゃんと水で洗う。 人間生きていれば、身

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          教育しているな?

          勘のいいガキだった。 自分の幼少期を振り返るとそう思う。特に親の教育に対する思惑については非常に敏感だった。 例えば、小学生の時に地域祭りの鉾巡行に参加させられたときは非常に苦痛だった。当時、かなりの人見知りだった僕にとって、地域の人間と関わる機会など拷問以外のなにものでもなかった。地域の祭りに積極的に参加するような大人は、どいつもこいつも声がデカく妙に気さくなのしかいない。しかも年配層特有のユーモアが四方八方で飛び交っており、その矛先は子供にも容赦なく向けられる。「愛想笑

          教育しているな?

          3歳の記憶

          先日、家の近所の交差点を原付で信号待ちしていた。 何となくぼんやりと考え事をしており、何を考えていたかは思い出せない。 明確に何かを検討するというよりは、脳を遊ばせている感覚に近かった。 しばらくそうしていたが、ふと意識が戻り、おもむろに視線を上げた。 すると、信号の向こう側にある商店のシャッターが目についた。 そのシャッターには、 目に見えぬ 神の心にかないなば 祈らずとても 神や守らん と書いてあった。 意味不明である。というか「神」という文字の強烈な存在感が、街に

          ウチは散髪屋

          散髪をした。 ボクは2週間に1回ぐらいのペースで散髪をする。刈り上げているもみあげが年々濃くなってきていて、少し伸びたぐらいの頃が本当に我慢ならない。 たぶん、少し伸びているからといって誰も気づくことはない。しかし、そういう問題ではないということは、各々の自意識に問いかけてもらえば分かるはずだ。 ボクの祖父母の家は美容室だ。 母と祖父は理容師、叔母と祖母は美容師である。違いはいくつかあるが説明がめんどくさい。 ボクは昔からこの店がすごく好きで、今でも散髪の用事がなくても定期

          特技何?

          「特技何?」と質問されたときに、どもってしまう自分がいる。 ボクはこういう会話するきっかけのための、特になんてことない質問に対して深く考えすぎる部分がある。 この場合、なんでもいいから答えればいいのだ。 しかしはボクは「そういえばオレの特技って何だろう…」と本気で自分と向き合ってしまう。相手からすれば「今、真摯に自分と向き合われても…」という感じだろう。 こういった場面に遭遇したとき、すぐに答えられるようにするため、今この場で自分の特技について考えていこうと思う。 そもそ

          恋人がいない故の居心地の悪さ

          僕に彼女がいないことは、もはや周知の事実なのだが、最近それによる悪影響がでてきている。 彼女がいないこと自体は、億歩譲って問題はない。それは僕だけが寂しく、愛情に飢えるだけの事であって、いつか訪れるであろう幸せに思いを馳せればなんとか耐え凌ぐことはできる。 問題は飲みの場である。ここ1年で関わる人間の数が増え、飲み会の回数もそれに比例して増えてきた。飲み会はすごく楽しい。自分が好きな人達と酒を飲みながら話すことは、普段の会話では出来ないような深い話が出来ることもあるし、逆

          恋人がいない故の居心地の悪さ

          人参は絡みづらい

          僕は野菜が好きな方の人間だ。 毎食野菜を食べないと気が済まない、というほど特別な思い入れがあるわけではないが、「野菜を摂る」という栄養面だけにフォーカスした心持ちで向き合っているわけでもない。普通に、人並みに野菜が好きなのである。 しかし人参ほどどうでもいい野菜はない。 嫌いというわけではない。”どうでもいい”のだ。 例えば、夕食が筑前煮だったとしよう。筑前煮に入っている野菜と言えば、レンコン、ゴボウ、シイタケぐらいのものだ。そして人参も必ず入っている。 レンコンはうまい。

          人参は絡みづらい

          エッグトマトの汁

          僕には数人の友達がいる。 ここで1つ言っておきたいのだが、僕は“友達が少ない”という事実を自虐でもって笑いに昇華する手法がとても嫌いだ。何故なら、そういうことをする人種は“友達が少ない”という事実さえ自己顕示の道具として利用しているような気がしてならないからだ。「私と感覚が会う人間はこの世に数人」「沢山友達がいるということはそれだけ浅い関係性の人間が存在するということ」という風な滑稽な主張を、暗に示しているように感じられて虫唾が走る。己のコミュニケーション能力の乏しさと器の狭

          エッグトマトの汁

          アレクサハラスメント

          AIが発達し、人間の立場が侵されてしまうのではないかという不安を現代社会は抱えている。 小難しいことを考えている人々は「AIに今ある職業のほとんどが取って代わられる!」だとか「人間の感性をAIが理解することは不可能!」だとか議論をしているようだが、自分の将来を憂うことで手一杯の僕はAIのことまで考えていられない。こういう若者の社会に対する無関心も槍玉に挙げられていそうだが、とにかくAI君に構う余裕がないのは事実だ。 そんな中、僕の家に「アレクサ」がやってきた。俗に言うスマー

          アレクサハラスメント

          ウニを踏み潰した夏

          僕は小学校の時にウニを踏み潰したことがある。 人生で1番痛い経験をしたあの夏の話をしよう。 小学生の頃は毎年、母方の祖父母と母親の妹(つまり叔母)家族と一緒に福井県の海に出かけ、1泊2日で地元の民泊に泊まっていた。 海はサイコーである。いろんな生き物がいるし、シュノーケルで岩場を覗くだけで異世界へ飛び込んだかのような世界が広がっている。 話が逸れるが、僕は皆さんが思っているより潜水が得意だ。ホントに海底まで普通に潜っちゃうからね。海底というと嘘つけと思われてしまうが、何も水

          ウニを踏み潰した夏

          下ネタペリー来航

          程度の低い下ネタが会話の大半を占めている我々だが、下ネタに初めて触れたのはいつか覚えているだろうか。 性的な知識に関しては、僕はかなり早い段階から触れていたと思う。 小学1年生ぐらいの頃、ふと家の本棚においてあった漫画を開いてみるとめちゃくちゃ行為中のシーンがあらわれた。恐らく親が買った漫画だろう。当時の僕は全く意味が分からなかった。しかし男としての本能が、僕の中の何かを呼び覚ました。 そこからインターネットというパンドラの箱を開けてしまった僕は、ありとあらゆる世界に触れて

          下ネタペリー来航

          茶柱とパチンコ

          「茶柱が立つ」とか「お釣りが偶然ゾロ目だった」とか、日常にはそういった類の小さなラッキーが溢れている。僕自身も経験がある事だ。 ただ、こういう小さなラッキーに出くわした時に「今日はなんかいい事ありそうだな♪」と思う人間が一定数いるのだが、僕にはこれが全く理解が出来ない。 そもそも「茶柱が立つ」とか「お釣りが偶然ゾロ目だった」とかいう事象は、「確率が限りなく低い」という点においてのみ価値があり、それ以上のものは無い。 無論、その事象によってその後の生活に彩りが与えられるような

          茶柱とパチンコ