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人参は絡みづらい

僕は野菜が好きな方の人間だ。
毎食野菜を食べないと気が済まない、というほど特別な思い入れがあるわけではないが、「野菜を摂る」という栄養面だけにフォーカスした心持ちで向き合っているわけでもない。普通に、人並みに野菜が好きなのである。

しかし人参ほどどうでもいい野菜はない。
嫌いというわけではない。”どうでもいい”のだ。
例えば、夕食が筑前煮だったとしよう。筑前煮に入っている野菜と言えば、レンコン、ゴボウ、シイタケぐらいのものだ。そして人参も必ず入っている。
レンコンはうまい。正直言って筑前煮の主演といっても過言ではない。野菜ではない普段から主演級の扱いしか受けていない鶏肉をも食ってしまうぐらい存在感がある(ここでの”食ってしまう”とは”主役の立場を脅かす”という意味)。
食べたときに思わず「レンコンがうまいなぁ」という感想を口にしてしまうほど、野菜界隈で高い評価を彼は受けている。ゴボウやシイタケも同様だろう。

一方、人参はどうだ。人参を食べたとして「うん、まぁうまいね」ぐらいの感想しか出てこなくないだろうか。この「まぁ」には、「あってもなくてもどっちでもいいけど筑前煮という作品においては彩りの観点で入れておいた方がいいよね」というニュアンスが含まれている。いてくれても問題はないが、必須ではない。悪い奴ではないが、何となく絡みづらい。共演者たちもそういう意識を何となく共有しているため、微妙に気を使われてしまっている。そういった漠然とした絡みづらさを持っているにもかかわらず、外見だけは鮮やかなオレンジ色をしているため、作品には起用される。ただ、彩り要員として起用されても、味という点で作品のアクセントとなるような結果は残さない。彩りを与えてくれるだけ立派ではないかという意見もあるかもしれないが、彩りとプラスアルファの要素があったほうがいいに決まっているのも事実だ。自分の仕事はきちんとこなすが、それ以上のことはしない。そんな可もなく不可もない野菜の代表が人参なのである。

そもそも調理された人参の味が思い出せない。
加熱された人参の味を思い出そうとしても、「何となく甘い」以外のものが浮かばない。それなのに野菜スティックとして人参が登場するときは妙な存在感を発揮してくる。
野菜スティックに参加している人参以外の野菜といえば、大根、キュウリ、セロリぐらいだろうか。
大根、キュウリは持ち前の歯ごたえとみずみずしさで人気を博している。最後に売れ残ることはそうそうない。
セロリはあの独特な風味から、受け入れられないことが多いが、そこを評価してくれる熱狂的なファンがついているため、売れ残ることが意外と少ない。

一方、人参はどうだ。生の人参は変な硬さを持っている。大根やキュウリのような歯切れの良さがなく、歯ごたえという評価軸に一応は沿っているものの、高得点をたたき出すほどのものではない。
そしてなぜかみずみずしさがない。噛んだ時にあふれ出る水分はなく、申し訳程度に蓄えた水分が「ジュ…」と出てくるだけだ。
あとセロリほどではないが、若干のクセがある。人参特有のあの風味は、セロリほど敬遠されることもなく、食べた人を微妙な気持ちにさせる。セロリのような「自分は自分だ」という思い切りがなく、かといって個性は出したいので、とってつけたような風味を醸し出す。奇抜な格好で個性を演出したいが、やはり人の目は気になるので、髪の毛を若干の茶色に染めて、片耳だけピアスを開けている大学生みたいな「別にいいんだけど…」というような嫌さがある。逆にそのとってつけた個性のせいで没個性に転落していることに気づけていない鈍感さも、人参には感じられる。

生の状態でも、またもや彼は場の空気を微妙な感じにしてしまった。筑前煮では周りに気を使いすぎてうまく自分を出すことができなかったので、あえて素の自分を前面に押し出してみたが、本来の自分が持つキャラクターの弱さが露呈してしまっただけだ。それどころか、筑前煮で評価されていた「我を出さない」という長所さえ失ってしまい、今度は若干嫌われてしまっているではないか。

そう考えると、不器用な部分こそが人参の良さなのではないかと思えてきた。生まれ持った微妙な素質を受け止められず、静かにもがいている様は誰よりも人間くさい。彼は野菜なので、野菜くさいというべきか。とにかくそういった部分が、長々と考察することによってかわいらしく思えてきたので、これからも一定の距離を保ちながら彼とは付き合っていこうと思う。

好きな食べ物ランキングでまぁまぁ上位の筑前煮

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