クロちゃん

家族が精神疾患で、自分も精神不安定に。 それでも生きる気力を取り戻しいろんなことを考え…

クロちゃん

家族が精神疾患で、自分も精神不安定に。 それでも生きる気力を取り戻しいろんなことを考える日々。 同じような境遇の人と乗り越えて行けたら。 そして私の記事が少しでも心の支えになれれば嬉しい。

最近の記事

孤独と向き合ったら元気が出た

最近の自分 noteに書く内容は暗い話が多くなると思う。 けど、生きる勇気を失った思考が やっと元気を取り戻しつつある。 やっぱり楽しく過ごしたいから。 良い意味での「覚悟」 とても頑張ったと思う。 もちろん、これで終わりではない。 もしも大変なことが今後、起こったとしても きっと自分は大丈夫。 現在、どうにもこうにもうまくいかない人たちと気持ちだけでも 共有できたらと思う。 ママ友はゼロ というより、付き合うのをやめた。 私の気持ちは誰にも理解してもらえな

    • 自分らしく生きること

      今までいろいろな悩みと格闘して私だが 自分、家族、息子を分割して考えることにした。 何か問題があると、全てを嫌な問題として処理してしまう悪いクセ。 かけがえのない家族。 その家族が、なにやら難しいことになった。 だけど自分の時間は楽しんでいい。 それに気づいた。 なんでも引きずってしまう自分をもうやめよう。 昔を振り返り考える・・・ 最近はいろいろな精神科の先生のYouTubeを見て勉強している。 子供の精神疾患は親のせい、自己愛性パーソナリティ障害などは、幼少

      • 息子との思い出

        私は、毎日暗い顔をして生きてきたわけではない。 家族の楽しい思い出がたくさんある。 写真やビデオをたくさん撮った 写真はデジカメだったけど、ビデオはハンディカムの時代。 いい顔しないかなと待ちかまえていると、なかなかシャッターチャンスが やってこない。 それでいつも変なシーンばかり撮れる。 でも後から見返してみると、とても自然な格好や顔をしている。 写真やビデオは、大切な思い出。 加工機能はついていたが、何も施していない自然な姿がとても気に入っている。 なんで?

        • 後悔だらけ

          今まで色々なことがあり、日記を書いたり、読書、編み物、旅行など、リフレッシュできることを見つけ、やっとのことで生きる気力を取り戻した。このnoteも自分の気持ちを整理するために書いている。誰かに見つけてもらい、そして同じような境遇の人の胸に届けばと思う。 息子がこうなったのは、私のせい。 元々OCDを持って生まれてきたとしても、彼の興味関心がおもむくまま、物を買い与えたのが一番の原因。でも仕方がなかった。あの時の私は、息子が泣きながらあれがやりたい、これがやりたい、という

        孤独と向き合ったら元気が出た

          ⑧きのうごめんね、というメモとお菓子

          息子の変化 息子が部屋をめちゃくちゃに荒らした日から、1年がたった。OCDの症状は落ち着いたり出てきたりを繰り返していたが、息子の顔の表情がとても良くなった。以前は能面のように硬く、色のない蝋人形のようだった彼の顔が、人間らしい血の通った顔色になり、少し安心した。 OCDとの闘いと病院での覚悟 病院からは「このこだわりの強さは一生抱えていくことになる。 気持ちをコントロールして生きていくことを教えなければならない」 と言われており、私も覚悟をしていた。 息子と主治医のや

          ⑧きのうごめんね、というメモとお菓子

          ⑦家の中でだけ現れるOCD

          どうしても一人で悩むことが多くなる。この悩みは、他の人に通じることはない。夫や母親にもわかってもらえないことが多々ある。息子が一日中、しつこく付きまとう態度は私にしか示さないからだ。 他の人には、ちょっと空気が読めない不思議ちゃんで、特に女の子の友達に可愛がってもらっていた。もちろん、うちの子を嫌がる男子も多かったと思う。話が通じなくて変なやつ、と思っていた子もいたと思う。 字が書けないとか読めないとか、勉強ができないという悩みはなかった。むしろその逆で、難しい問題が解け

          ⑦家の中でだけ現れるOCD

          ⑥朝まで続く訴えがしんどい

          小児精神科では、息子は強迫性障害(OCD)と診断された。 シャワーを何度も浴びる。一回の洗濯で洗濯液はボトル半分を入れる。服についた水滴を異常に嫌がる。学校での授業中、突然関係ないことを言う。言ってはいけないことを友達に言う。 これらの行動はもちろん深刻だった。毎日のように洗濯をするたびに、息子と言い争いになることが多かった。 正直、しんどかった。 しかし、これが私の言い訳になるかもしれないが、息子はクラスでは明るい方で、おちゃらけもの、癒し系、ちょっと空気が読めない

          ⑥朝まで続く訴えがしんどい

          ⑤どんどん変わる興味

          こんなふうになってから、 気づくなんて、ばかな母親だ。 これまで息子は笑顔いっぱい、すくすく育ち、 本当に幸せで、私に生きる気力を与えてくれた。 それまではなんとなく生きてきた私だが 家族とかけがえのない時間を過ごそうと思った。 ツンデレな態度しか 取れないい自分だったが、姑にも優しくしようと思った。 そんなふうに思わせてくれたのも、 息子のおかげ。 だと、思っていた・・・ 思い出せば、子供の頃からサインはあったと思う。 私が気づかなかっただけ。 私の責任はとても

          ⑤どんどん変わる興味

          ④これから何が起こるんだろう

          息子は最初の3、4日間はほとんど寝たままで、点滴を1週間ほど続けていた。 徐々に普通に話せるようになり、笑顔も見られるようになった。 しかし、私は息子と対面できず、母や夫が息子のところに通っていた。息子は自分のしたことをはっきり覚えている部分と全く覚えていない部分があったようだ。 主治医は少しずつ息子と対話を始め、私たち夫婦も病院に呼ばれ、これまでの息子の言動や行動について詳しく聞かれた。また、私と夫の精神状態や家族の状況についても深く質問された。 周りに精神疾患の身内がい

          ④これから何が起こるんだろう

          ③10日間の入院生活で

          ある日の夕方、家の中がめちゃくちゃに荒らされていた。 それは私が30分ほど外出した際に起こったことだった。 近くのコンビニから買い物をして帰ると、何か異様な雰囲気を感じた。カーテンが半開きで家の中の様子がなんとなく見えた。これまでのこともあり、とても嫌な予感がした。 家の中に入ると、息子が無惨な姿で倒れていた。 これ以上の詳細は避けるが、本当にひどい状態だった。 私は夫に連絡し、すぐに帰ってきてもらった。 そして救急車を呼び、息子は病院に搬送された。 私もショックで呼吸困難

          ③10日間の入院生活で

          ②ふつうが消えた日

          ある日の夕方、部屋はめちゃくちゃに荒らされていた。 それは私が15分ほど外出した際に起こったことだった。近くのスーパーから買い物をして帰ると、何か異様な雰囲気を感じた。カーテンが半開きで家の中の様子がなんとなく見えた。これまでのこともあり、とても嫌な予感がした。 家の中に入ると、変わり果てた息子の姿があった。これ以上の事実は書かないでおこうと思うが、本当にひどい状態だった。私は夫に連絡し、すぐに帰ってきてもらった。そして救急車を呼び、息子は搬送された。私も驚きで呼吸ができ

          ②ふつうが消えた日

          ①家族だって苦しい、強迫性障害

          いつか笑顔で会話がしたい 現在、息子は成人。 強迫性障害で小児精神科に通院歴あり。 年齢を重ねるにつれて いつの間にか王様のようになってしまい 4〜5年、まともな会話はなし。一度しか会っていない。 社会ではとてもうまくいっているようで 付き合いが両極端。 息子と普通に話がしたい。 息子の大変さを理解してあげたかったから 毎日いろいろ考えたし、応援した。 陰で支えた。 しかし無駄だったのかな。 「お前が死んでも何一つ自分には関係がない」 と言って出て行った。 後の記事

          ①家族だって苦しい、強迫性障害