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⑧きのうごめんね、というメモとお菓子

息子の変化

息子が部屋をめちゃくちゃに荒らした日から、1年がたった。OCDの症状は落ち着いたり出てきたりを繰り返していたが、息子の顔の表情がとても良くなった。以前は能面のように硬く、色のない蝋人形のようだった彼の顔が、人間らしい血の通った顔色になり、少し安心した。

OCDとの闘いと病院での覚悟

病院からは「このこだわりの強さは一生抱えていくことになる。
気持ちをコントロールして生きていくことを教えなければならない」
と言われており、私も覚悟をしていた。
息子と主治医のやり取りの中では、OCDの症状についてとても困っている、と相談していた。

息子は「わかっているけど、気がついたらお母さんに嫌なことを言ったり、してしまったりする。だから悪いと思っている」と言っていた。

気持ちがあってよかった。

きのうごめんね・・というメモ

息子から直接「昨日ごめんね」と書かれたメモと仏壇のお菓子を失敬して枕元に置いてあったことがある。これが息子なりの謝罪だった。

それを見たとき、私はとても嬉しかった。
これから少しずつ回復するのかと思った。

しかし、それも束の間で、5分もすれば、機関銃のように間髪入れず自分の要求を長時間に渡り伝えてくる。この時間の早さに私の精神は全くついていけなかった。

孤独な戦い

「お父さんは協力してくれないの?」と思うかもしれないが、息子は私にしか要求を伝えず、私ばかりが集中攻撃を受ける形だった。
夫に出来事を伝えて息子に注意してもらうが、全く効果がなかった。

病院に通って思ったのは、「これが始まり」ということだ。
私自身、心に折り合いをつけることができた。
それはただのかっこつけの覚悟ではなく、本当の意味での生き抜いていく覚悟だった。

遺伝の影響なのかな?

なぜこんなことになってしまったのか?時々考えてとても胸が苦しくなる。発達障害について、YouTubeや本などを読むと、少なからず家庭環境や育て方が関係しているようだ。それと遺伝。うちには代々精神疾患の家族がいる。私もその血を引いている。夫の方はどこにでもいるような家族で、愛されて育ってきた人だ。

神経質だった子供の頃の私

私自身は少々神経質なところがある。
今はそんなのことはどうでも良くなった。

子供の頃は、少しの音、匂い、光など、非日常が起こると体調を崩しやすかった。勉強は特にできたわけではないが、学校へは毎日行き、よく食べ、よく寝る子だったと思う。
どちらかというと、長時間絵を描き続けたり、本を読んだりできる体質だった。
影をお化けだと勘違いしたり、髪の長い女の人に見間違えたり、壁がギシギシと音を立てることに敏感だった。

息子への誤解と周囲の反応

息子のOCDの症状が強くなり、空気が読めない発言をしたりすると、必ず家庭環境のことについて周囲からチェックされたり、陰口を言われたりする。

息子の友人関係はとても極端で、息子のことが大好きという子と、「とても付き合っていられない」という子に二極化される。
付き合っていられない側の親からは「あそこの親は一体どうやって子供と関わっているんだ」と私の耳にも入ってきた。

無関心な親というレッテル

一番多かったのは「子に対して無関心」という噂だった。

これはとてもショックだった。
息子の関心が早いサイクルで移り変わり、「あれがやりたい」「これが欲しい」と早朝まで枕元で続くやりとり。

ついに負けてしまい、買ってあげるという行動に出てしまうことが多かった。息子は学校で「親に何を買ってもらった」と話し、それが他の親にも広まる。そして私は「ものだけ与える無関心な親」というレッテルを貼られるようになった。

本当にショックだった。

ここに書いた内容以外の息子はとても奇抜に思うかもしれないけど、ふだんはとても温和でゆったりしている。変なスイッチが入っていない時は、ごくふつうの子。

部屋が汚くても気にしない。
服にシワがよっていようが、必要なものがなくても代用したりできる。

しかし、どこか変なスイッチが入ってしまうと、とたんに潔癖になり、洗濯をし始める(洗剤液はボトル半分入れてしまう)

床はピカピカになるまで何度もワックスをかけ、シーツは1ミリのズレもなくピシッとなるまで何度も確認する。

すごく綺麗になってるからもういいんじゃない?といっても全く息子には通じない。今晩、ワックスを買ってくれというんじゃないかとビクビクする私。

不思議なのが、学校では忘れ物はするし、靴の紐はほどけたままで友達に注意される。
寝ぐせがついたまま登校するし、学校では潔癖の様子はまるでなかったようだ。








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