rope0223_lillil

rope0223_lillil

最近の記事

突然の別れ

今の職場はそろそろ2年近くになる。人の入れ替わりが多々ある職場で年齢も様々だが、年が離れている若いスタッフも気軽に話してくれる心地良い職場である 今日は新しい作業が始まるので気合を入れて早起きした。仕事前には必ずある朝ミーティングのためにオフィスへ向かう いつもと変わらないミーティング風景 ふと目の前のホワイトボードに貼ってあった1枚の紙に目が止まった 「◯月◯日にAさんが交通事故でお亡くなりになりました」と書いてあった 今日から3日前の出来事だったらしい 頭が真

    • インナーチャイルドあれこれ

      先週受けたカウンセリングの振り返りをあれこれと 暴力を振るわれたなどの即効で児相に連絡いきそうな虐待よりも、普通の家庭で普通に育ったと世間も本人も思っている虐待が増えていると聞いた 私でいうと、母親が家事面で過保護だったこと、小学生高学年頃から家庭では無表情になっていったこと(家庭以外では感情を出していた)、金銭面や家族のことで小学生の頃から母親からよく愚痴を聞かされていたこと、普段は温厚な父は怒ると激しく怒鳴り誰も刃向かえなかったこと 親に私だけを構ってもらえた記憶が

      • 誰かのせいにしてない?

        自分を見つめ直す、自分がどんな人間が知る作業の途中 思えば、私の【怒り】の感情には他人に対する【期待】があったと思う 嫌 良いことをしても評価されない時には「こんなに良いことをしたのに何故、分かってくれないの?」 「~してくれない」という相手への期待と、それを裏切られる(勝手に自分で期待したのに)絶望感 相手ありきの行動が多かったから、そうなっていた。自分が心からやりたいから行動すれば良いだけなのに、小さな子供が親に褒められたいかのように他人に評価されたいから行動し

        • カウンセリングその2(HSP診断)

          先日、カウンセリングでHSP(敏感さ)の診断結果が出た 結果は【弱】 HSPは極めて低い、鈍感な人間である ただこれは現在の私の結果。質問に対して「昔はこうだったけど今は違う」という項目が何個もあったことをカウンセラーに伝えると、HSP気質は持っているが経験と訓練で今は敏感では無くなっているらしい 自分でも振り返ると当てはまる思い出が沢山ある。大勢で居ても機嫌が悪い人が居たら空気で分かったり、どこかへ行く時に空間が嫌な感じのする所は避けていたり、百貨店など人が大勢居る

        突然の別れ

          カウンセリングその1

          今年の夏から、カウンセリングを受けている 医療機関では無く民間で受けていて、それは治療目的というよりも、私自身が私のことをよりよく知り、どのような性格や特性があって、どのように行動すれば良いかを探るのが目的だ 前回のカウンセリングでは、過去にあった出来事が今の私にどのように影響しているかを探った 自分では大した過去は無く、平凡で割りと順調に今まで生きていると思っていた しかし、私が思っていた予想と、事実は大分異なっていた。そこそこのトラウマが多々あり、そこそこの厄介な

          カウンセリングその1

          長いトンネルから抜け出したこと その2

          その後、社会人になった私は環境が劇的に変化する。往復4時間の通勤時間はキツかったし、そのせいで相変わらずの睡眠不足だったけれど、母も元気になり、仕事も激務だけど面白くて、とても元気になった そんな私を見てお医者さんは「薬はもう要らない」的な診断をしてくれたのでそれまで半年間服用していた薬の減薬が始まった 減薬が始まると直ぐに私の体は様々な離脱症状が出た 「痺れ」と「不眠」が厄介だったが、その症状を緩和するために新たな薬を処方してもらうようになる(多分、代薬しながら軽めの

          長いトンネルから抜け出したこと その2

          長いトンネルから抜け出したこと その1

          つらつらと、22歳から15年の不調の歴史を書いていこうと思う。めちゃくちゃ元気になって1年半経った。やっと振り返れるような気がする。 はじまりは22歳のとき。当時、工学系の学校へ通っていて卒論真っ只中の夏休み。夏休みだけど卒論の研究のために毎日学校へいき、夕方から夜中まで飲食店でバイト。そこへ母の入院が重なり、朝早くから弟と父親のお弁当作りが加わる(余談だが姉はニートで家に居たけど家事は全く出来ないので戦力外)。睡眠不足と疲労でどんどん痩せる。 ある日、バイト先でオーナー

          長いトンネルから抜け出したこと その1

          自分の声

          自分の容姿が世間から見て、自分が望んだよりは可愛くないあるいは美しくないことに気付いたのは30代半ばになってからだ。 それ以前も薄々気づいてはいたが、残念な現実を受け入れることができなかった。その残念な現実に薄々気づいていた私は思春期では写真を撮られることを酷く嫌がった。結果、私が写っている写真は数えるほどしか無い。 残念な容姿の現実を受け入れた後、こざっぱりして、太っていなくて、痩せすぎても居なくて、突飛な洋服や奇抜な髪型をしていなければ、大抵の人には好印象を与えること