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nero14




 ネロは繰り返し躓きながら、自分の部屋に戻ろうとしたが、道が分からなかった。さいわい土田たちと双子双子ナンバーズの笑い声が、ある一方向から流れ込んでいた。ネロは川を遡ってゆくようにして移動を始めた。
彼らは、<人間よ、人間的であれ>と彫り込まれた記念碑の周りに集まっていた。ホタル牛の小屋は、実際には寮のすぐそばにあった。いつもとは違う位置から、いつもと同じものを見ていただけだった。ほんとうに見知らぬ場所など、もはやどこにもありはしない。
土田たちは、その記念碑を何人で押せば動かせるか実験していた。ネロが到着した時には、三人の土田と二人の双子双子が記念碑を押していたが、びくともしなかった。ネロは遠目から見物していた。やがて人数が増えて合計二十三人の土田と双子双子が、押したり引いたりした結果、ついに記念碑が4mほど動くと、たまらずネロも近寄っていった。土田と双子双子たちは喜びを分かち合っていた。ハイタッチをしたり、肩を組んだり、上半身裸になって感情的に踊った。
当然、行為に合理的な目的はなかった。達成感を得るためだけに、記念碑は移動させられるのだった。
 ネロは見ていただけだったが、彼らに混ざって達成感を勝手に味わった。そしてさらなる達成感を味わうためにネロは、彼らの達成を実際に目で確認することにした。つまり石が引きずられることによってできた、地面のえぐれた跡を見に行くことにしたのだ。
そこには一冊のノートが落ちていた。ネロはそれを拾い上げて、ページをめくった。ノートは黄色く変色していて、ところどころ破れていたが、一部読めるところもあった。ネロがそれを声に出して読み始めると、お互いの筋肉を褒め合い、嬉しさのあまり酩酊状態にあった人々の声は、徐々に小さくなっていった。彼らはネロの喋っていることを聞き取ろうとしていた。
ノートは卑猥な文章と、卑猥なイラストに埋め尽くされていた。かつてノートを所有していた者は、女性の肉体に並々ならぬ感情を抱いていることが、容易に想像できた。ネロはノートに書かれた文章を読み上げながら、声の調子を意識することで、そのわきに描かれたイラストの雰囲気まで表現できるように努力した。
少しもしないうちに、ネロの声と、人々の呼吸音のほかには何も聞こえなくなった。
ネロは退屈な文章を読み続けていた。しかし声に出して表現することには、内容に関係なく、さわやかな運動に似た開放感があった。そのため、ネロはノートに書かれた文章を、理解不能の文章も含めてすべて一息に、楽しく読んだ。ノートを閉じたとき、はじめてネロは喉の渇きに気付いたのだった。
ネロが音読している間、人々は身をよじって苦しんでいた。土田容子は、地面に直接座っていたのだが、地面を木の枝で掘るという手慰みをエスカレートさせ、やがて素手で、爪がはがれるくらいの力で掘りはじめていた。そこ黄金が埋まっていると、信じて疑わない夢想者のように。土の表面は柔らかくても、下へ行くほど押しつぶされて固くなっている。しかし土田容子は、地面に顔を寄せなければ掘り進めることのできない深さの穴をすでにこしらえ、いまだ満足していないのだった。
双子双子31は自分の髪の毛の中に両手を突っ込んで、頭皮を掻きむしっている。やがて勢いを増し、髪の毛を鷲掴むと、ぐりぐりと引っ張っりまわした。31は、三角座りをしてネロの話を聴いていたのだが、そのままどんどん小さくなっていくように見えた。それは理想の三角形に近づくために、体に備わるすべてのまるみを否定する作業だった。ボリボリという、頭皮を掻きむしる音だけが、その31がそこにいるという事に気付くための唯一の手段となりつつあった。
また別の土田は、ネロの音読に敏感に反応して、ある場面では笑って手をたたき、違った場面では生唾をのんだりしながら、たまにお互い顔を見合わせ、おどけた顔を作ったりした。だが時間が経つにつれて、ネロの声を一語一句聞き逃すまいといったふうに方針を変えたらしく、集中力を深める代わりに、豊かに変化していた表情は、石ころの表面のように真面目なかたちで固定された。そして、そのままこっちりと固まって動かなくなり、鼻息だけが聞こえるのだった。
とある五人ほどの土田と双子双子の混合は退屈に感じたらしい、彼らはバッタのように軽く飛び跳ね、談笑しながらまとまってどこかへ消えていった。
もしくは、あるひとまとまりの混成グループは、ごろりと横たわりながら聞いていた。意識はネロの口元に集中していて、ネロの口の動きをまねて自分の口を動かすだけの土田葉子もいれば、ネロのあとについて、同じ言葉をぶつぶつとつぶやく双子双子17もいた。
そんな中、ある一人が調子を悪くして、青白い体を小刻みに震わせていることに、ネロは音読を終えて間もなく気づいた。というのも、音読を終えたときには、ネロの周りには彼のほかには誰もいなくなっていたのだ。

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