見出し画像

音楽と、想像もできなかった生死のあたたかい繋がりの話 毎日応援 95

ご縁の繋がりとは、不思議。自分の力ではどうにも出来ないような事が起こったりする。
みんな繋がっている。そしてご縁の繋がりを感じざるを得ない。そしてそれは誰にでも起こる奇跡。

ご縁を信じられるきっかけにもなったある時の体験談^ ^

ある時、山奥の神社に行くことになった。
友達が当時、宿をどこで取ったらいいか分からず電話した神社に、たまたま敷地内の宿があり、そこで泊まったことがある。

弁財天さまの祀られているその神社の敷地内の宿に泊まることができ、ご主人と楽しい時間も過ごせ、楽しい思い出となった。

手紙のやり取りも少ししたりして。

その後、なんとその神社の朝の御祈祷の時間、一緒になったグループの人が、別の、初めて参加したイベント旅行にも参加していた人で、
私たちは、一緒に寝泊まりをしていたことが判明した^ ^


そして、その後、その宿のご主人のおじいさんが、高齢のため、亡くなられたんだけど、
その亡くなった時、その寝泊まりをしていたことが判明した知人がその宿に行っていて、おじいさんの死を知って、わたしに連絡をしてくれた。


偶然が重ならなかったら、わたしがそのおじいさんが亡くなったことも、宿が無くなるであろうことも、ずっと知る事はなかった。


そのおじいさんは、わたしが宿に泊まった日に、

「これまでは口頭で教えてきた御詠歌を初めて紙に書いたので、コピーも取っていないけれどあげるので、ぜひ歌ってほしい」と手渡してくれた。

(御詠歌とは、僧侶ではない一般の信者が寺院や霊場巡礼の際に唱える歌のことです。 御詠歌の多くは三十一文字からなる和歌に節をつけたもので、一般的に鈴(れい)や鉦(かね)を鳴らしながら詠唱します。Googleより。)


わたしは、御詠歌というのを知らなかったけれど、そのおじいさんがあまりにもかわいくて明るくて、楽しい方で大好きになっていたので、おじいさんの作ったその歌を歌ってレコーディングしたものを、送らせてもらったりしていた。


だから、亡くなったことは悲しかったけれど、そのことを知ることができたことは、ほんとにありがたかった。


おじいさんに、会いに行った事はあったけれど、
また、今度もある、いつか行って、、、と思っていたから。


だからといって、他の人はわたしの事は知らないし、連絡先なんか知るよしもないから、
おじいさんが亡くなっても、わたしに連絡してくれる人は居ない。



それが、亡くなったその日に連絡をもらえた。


悲しい事だけど、ほんとに嬉しかった。


おじいさんは、ものすごく高齢だったから、大往生だった。


その後、また、「信じなくていい不思議シリーズ」なことが起こった。


おじいさんが亡くなって、気持ちだけでも弔わせてほしいと、心の中で実は、水晶の楽器、クリスタルボウルを演奏するつもりでいた。

でも用事があって、ある占い喫茶に立ち寄った。


もうそろそろ帰らないと、と思った時、お店にいた、「視える先輩」が、言った。


「すぐ後ろにおじいさんおるんやけど、誰?」と。


。。。


「いや、成仏されてる方なんやけど、
なんか、待ってるっぽいんよね。」



。。。



宿のおじいさんだ!!!



わたしが弔わせてほしいと頼んだから、成仏してるけど、わざわざ待っててくれてるらしい!


しかも、その話、誰にもしてない!!



すると、おじいさんは、どうも水晶の楽器じゃなくて、そのお店にあったお仏壇の所によく置いてある「チーン」と鳴らす、「おりん」でいい、と先輩に伝えたらしい。


そこで、おりんの小さな弔いをさせていただいたんだけど、スッと光になって上がられた、と聞いた後、わかった!


そうか、おじいさんは御詠歌の先生だったから、御詠歌は仏具の金属の鐘をチーンと鳴らしながら、仏様を讃える歌を歌うから、
水晶の楽器じゃなくて、仏具の「チーン」がふさわしかったのか!と。。。


!!


わたしは、視えないけど、もても腑に落ちた。


その日、たまたま届け物があって、そこへ立ち寄ったら、先輩が居て、その中継もしてもらえた。


おじいさんとの、この数年の出会いからの流れは、わたしにはどうにもできない。


どれも人が繋いでくれたものだから。


友達が探した宿で、おじいさんと知り合って、
友達に誘われて行った宿泊イベントの中にいた人が、神社の朝の御祈祷の場にいて、
その事は後から、全然別のことから知って、
おじいさんの宿にその人はよく行く人で、
たまたま亡くなった日に宿に行っていて、
亡くなっても、教えてもらえて、
おじいさんの弔いのサポートを視える先輩がしてくれた。。。


これは想像しても、思いつかないシナリオ。

実は、おじいさん、と年齢的なもので書いたけど、わたしはそのおじいさんがなんか、特別で、大好きで、こっそり「おとうさん」と自分の中で呼んでいた。


他人なのに、「おとうさん」なんて呼びたいと思った人は他にはいない。


その気持ちが伝わっていたのかな。。。


だから、視えない世界でも皆、繋がっていて、何かしら叶えたいことや、そうなるべく、何かが流れているんだと思うし、今はそれを疑わない^ ^


宿に泊まった晩、おじいさんがくれた御詠歌は、
大黒天さまと、弁財天さまと毘沙門天さまをたたえる歌だった。


そんなご縁をいただけたので、その後描いた弁財天さまが、タイトルのところのこの絵^ ^


ステンドグラスのように光を通す絵だけど、
なんかイケイケになった(^◇^;)


これもご縁からだから、ほんとに不思議で、ありがたい。


こういうことを体験していくことが増えてから、
常々思うこと。


素敵なご縁は、みんな持っていて、
なんなら全部がそうで、
みんな繋がっていて、

そこに心を開くようになると、堰き止められた愛の流れが、最初はチョロチョロと流れ出し、

信頼できるようになると、どんどん流れ出す。


みんな、奇跡のようなご縁の中で生きていて、
それは無くならないし、
人生は、いろいろあるけど、悪くはないな、
いや、楽しいことも起こるんだな、
いやいや、めっちゃ面白いやん、となる^ ^


もう生きてないなというところまで行って生き直しし始めてから、生きてるだけでありがたいと思い出してから、こういうことが起こり始めた。


自分にこんな流れを信頼できる日が来るなんて、想像すらしてなかった。

こんな自分にも起こる奇跡だから、
みんなに起こらないわけがない^ ^


奇跡の起こるスペースを開けて、ぜひ、楽しみに流れに身を任せてみてください^ ^


おじいさん、あの世でどうしてるのかな。

楽しく歌ってるのかな。

綺麗なお姉さん達に囲まれてるかな^ ^





今日も、皆さまにとって、安心で楽しい時間が流れていますように。


ありがとうございます。



戸張碧月

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?