亡くなった母が生きている世界 毎日応援 131
遊びに行った時の場所を昔絵に描いた。当たり前みたいな時間は当たり前じゃないんだな、とつくづく思う。ピノキオのお話の中の、遊んでばかりの子達がロバになる遊園地の中にいるように「まだまだここで好き勝手して遊んでいたい」それがまるで、「もう、終わりだよ」と言われているよう。
この時間が続けばいいのに、と思う事がある。
でも、必ずそれは過ぎ去っていく。
大好きな人は、亡くなっていくし、
もっと一緒にいたい人や、動物達とも、いずれはお別れの時がくる。
ずっと昔のことでさえ、昨日のことのように感じる。
死ぬ時は、さぞかし一瞬に感じるんだろうな…。
(^◇^;)
昨日、とても変な夢を見た。
ずっと前に亡くなった母が生きている世界の夢。
リアルでは、父はまだめっちゃ元気で生きているんだけど、
夢の中では、逆の世界になっていて、ずっと前に父が死んで、母が生きていた。
楽しくみんなで生きていて、
「あー、父も亡くなって随分経つんだなあ」なんて思っていた。
ふと、実家の部屋の中を見回していると、夢の中で目が覚めた。
多分、母がもしほんとに今と逆で、一人で生きていたとしたら、
今の父だけの世界とは違う内装や装飾の部屋になるであろう、部屋があまりにリアル過ぎて、
現実のわたしが夢の中でその風景に驚いて、
まず夢の中で目が覚めて、
現実でも目が覚めた感じ。
いやー、びっくりした。
母が生きていたら、絶対こんな部屋にして、こんなカーテンにして、こんな風にレースとかの小物とか荷物が増えていただろうな、、、という風景や、物の一つ一つがリアル過ぎて。。。
あんなに、想像を超えたものを夢とはいえ、見えたりするもんなんだね。。。
で、目が覚めたけど、父が亡くなっている世界がリアル過ぎて、しばらくは混乱。(^◇^;)
どっちが今生きている世界か、しばらく理解すらできなかった(^◇^;)
なんか、たらればじゃないけど、
ほんとに別の「母存命タイムライン」があって、
そっちへ行ってきた感じ。
事実は小説より奇なりとは、ほんとによく言ったもんだ(⌒-⌒; )
ディズニーランドより、ずっとすごい体験よ、
自分にとったら(⌒-⌒; )
もっと、母と過ごしていたかったと思ったけど、
まあ、ご褒美もらったと思っている^ ^
人の思いは見えないし、何十年も前のことをさっきの事のように思うし、
亡くなった人とも夢で会えば、リアル以上のリアルだし、
時間とか、人ってなんなんだろうね。
目に見えないものがそのまま存在して、リアルに感じられるってことは、肉体ってなんなんだろうね。
肉体が終わっても人は死なないって、この辺りのことから、はじき出される答えなんだろうかね。
いやー、しかし。
混乱する程のリアルだったから、母に会えたような気がするなあ。
そして、父よ、ごめん。
母と存分に楽しんでおりました。
感傷にもひたらず。
あちらの世界では(≧∇≦)
子どもたちと行った遊び場の絵を選んで描いたのも、あの楽しかった時間は過ぎていくもので、同じことは二度とないと思ったから、とどめておきたかったのかもしれない。
夏休みの子どもの宿題の絵を、代わりに描いたんだけどね(^◇^;)
別の人に描かせただろと、ざわついたらしいけど
(^^;;
でも、もしかしたら、、、。
一瞬とか、夢でとか、戻れるのかな。
いや、心はその時に戻れるもんね。
人は、不思議だね。。。
あちこち、今は外に遊びにも行きにくいけど、
夢やあなたの中の世界はいつでも自由なので、
皆さまにとっても、多くの時間が、楽しい世界、時間でありますように。
いつもありがとうございます。
戸張碧月
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