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ダンナと愛犬はヨーロピアン&NY昔話 #3 ウィーンへ移住  

オーストリア ウィーンへ移住

現在は日本に住んでいますが、ウィーンには10年近く住んでいました。

私は子供のころからニューヨーク・マンハッタンでキャリアウーマン(昭和の死語)としてバリバリ仕事する女史になるのが夢でした。

英語も勉強もできなかったのですぐに諦めましたが 笑

でもアメリカが大好きで、東京在住だったゲイのイタリア系アメリカ人の友人とアメリカ大陸横断旅行したり、英語ができないにもかかわらずニューヨークにも2年近く住んでいました。

ヨーロッパには全く興味がなかったのです。

それなのにヨーロピアンと結婚してヨーロッパへ移住だなんて、自分の人生の新しいステージへの展開の不思議さに興奮しました。

オーストリアで連想されたのは「音楽の都」と呼ばれていることと「ウィーン少年合唱団」くらい。

中学生の頃に好きだった彼が、オーストリアとオーストラリアを混同してテストの答えを間違ったということをいっていたのを思い出したり、あるシニア女性にテレビを見ながら「あなた、こんな素敵な国へ行くのね。」と言われてみるとそこにはオーストラリアペンギンが・・・ 笑

「あるある」ですよね。

渡欧前に、友人知人に「オーストリアへ行く」と話しても、かえってくるのは「オーストラリアかあ...あったかいからいいよねー」みたいな感想がほとんど。 

ウィーン市街でも、カンガルーのイラストと「No Kangaroos in Austria(オーストリアにカンガルーはいないよ)」と描かれたTシャツをよく見かけたものでした。

世界共通なのですね。

初めての日本からウィーン空港までのフライトは、眼下に広がる真っ白なロシアのウラル山脈の荘厳さに感動。

アメリカへは太平洋の上なのでほぼ海ばかりでしたから、初めてみる景色に見入っていました。

約12時間のフライトを楽しんでいよいよオーストリア上空になると、眼下はパッチワークのようにさまざまな色をした作物の畑の美しい景色が私を迎えてくれました。

実はダンナは先にオーストリアに戻っていて、新居の準備(と言ってもアパートメントの貸部屋)をしてくれていたのでした。

空港へ迎えに来てくれているはずですが、日本を出るときに家族が「もし迎えに来ていなかったら・・・大丈夫?」と彼を100%信用していなかったので、ちょっとドキドキ。

でも、毎日のようにオーストリアから日本へ電話をくれて、「愛してるよ」と言ってくれていたので、絶対に来てくれていると信じて税関を抜け出口へ。

(あー、そんな頃もあったわね もう、何年聞いてないかしら 外国人だからと言ってドラマや映画みたいに、結婚していつまでも愛してるなんていうとは限りませんよー)

ダンナは、彼の親友と一緒にちゃんと迎えに来てくれていたのでした。

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