縲絏非罪...動物や虫、草や風、水、山と語り合えたなら
子(し)、公冶長(こうやちょう)を謂(い)う、
妻(めあわ)すべきなり。
縲絏(るいせつ)の中に在りと雖(いえど)も、
其の罪に非ざるなりと。
其の子を以(もっ)て之(これ)に妻(めあわ)す。
(公冶長第五、仮名論語四八頁)
先師(孔子)が、公冶長の人柄を批評して言われた。
「結婚させるに相応しい立派な人物だ。
牢屋に繋がれたことがあったが、
誤解されてのことで本人の罪ではなかった」
とて、自分の娘を彼と結婚させられた。
孔子から娘婿にと望まれた公冶長は、
『論語』でこの一章だけに登場する弟子である。
無実の罪で牢獄に繋がれていたとあるが、
どのような罪であったのか。
六朝(りくちょう)・梁の皇侃(おうがん)が著した注釈書『論語義疏(ぎそ)』にその理由が詳しい。
もっとも皇侃は、この話は雑書に出てくるもので
必ずしも信用できないが、
古くからの伝えとして書き記したという。
掻い摘んで書くとこうである。
鳥語を解すると言われた公冶長は
温柔敦厚(おんじゅうとんこう)、
仁に里(お)る人であったに違いない。
間違いのない結婚であったろう。
「ドリトル先生」や
「風の谷のナウシカ」のように
動物や虫たちと会話ができ、
草や風、水、山と語り合えたらと思うのは、
今も幼子と変わらない。
ところで、春秋時代の公冶長のみならず、
中世イタリアにも鳥語を解すると言われた聖者がいる。
現バチカンのフランシスコ法王の名前の由縁となったアッシジの聖フランチェスコ(一一八二‐一二二六)である。
ジオットの描いた壁画や
リスト作曲の『小鳥に説教するアッシジの聖フランチェスコ』で知られる。
しかし何と言っても彼の作った『平和の祈り』で、キリスト教徒のみならず仏教徒やイスラム教徒にも、宗派を超えて知られている。
オウム真理教に蠱惑(こわく)された若者、
過激派「イスラム国」(IS)に蝟集(いしゅう)した若者が、
この祈りを耳にしていたなら、
平和の道具として身を填(は)むこともできたのではないだろうか。
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