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【現代ホラー異聞録 山神の血印 ~おはなしの集う山~】(1話目/全10話)

あらすじ

七月の初め、私生活も仕事も不満だらけの石原旭は、久しぶりに有休を取り地元へ戻った。

幼馴染の六山勇郎と渓流釣りを楽しみ、六山に出来たばかりの彼女・西片瑛茉の事や、地元で頻発する奇妙な出来事の話を聞く。

石原は、瑛茉が立ち入り禁止の古い神社に住む男・萩沢侑丈の弟子だと聞いて六山と共に会いに行くが、道中で出会った瑛茉は突如として異様な姿に変わった。

その直後、六山もまた異様な姿へと変異し、石原は逃げるように地元を離れアパートへ帰った。だが、石原もまた異変に襲われる。

連綿と続く血印の掟に囚われた人々の輪へ加わりかけた石原は、萩沢と二頭の犬達に救われるが、命と引換えに右手を失い異界と日常の狭間に立たされた。


山の怪 1

「あーっ、うまいっ!」

 石原旭は、びっしりと水滴のついたレモンチューハイの缶を片手に腹の底から声を上げた。

 七月初めのこの季節、市街地ならば昼近くにもなれば外へ出るのは危険なほど暑いが、濃い緑の梢に頭上を覆われた山の中では軽く汗ばむ程度だ。

 木漏れ日にきらめく川面を渡ってくる風は、早朝からの山歩きと数時間の釣りで疲れた体に心地よい涼しさも与えてくれる。

「大げさじゃね?」
 
 石原と同じ簡易チェアに座りハイボールの缶を手にした六山勇郎が笑った。二人の間では串を打たれ焚き火台で炙られるイワナが香ばしい匂いをあたりに振りまいている。

 子供の頃からの遊び場でもあるこの渓流沿いの岩場で、二人は早めの昼飯に取り掛かっていた。

 足場の悪い所だが、苔むした大きな平たい岩が川面を覆うようにせり出している場所がある。

 ここを拠点にそれぞれ目星をつけたポイントで早朝から釣りを楽しみ、昼飯に釣果を味わうという流れが、地元で遊ぶ際の定番になりつつある。

「いや全然大げさじゃねえよ、まじ生き返った味がする」

「どんな味だよ」

 よくぞ聞いてくれたとばかりに、石原は滔々とまくしたてた。
 
「二十五連勤で働き続けて、セール準備のくっそ忙しい時に夜バイト三年目の有能女子大生がドタキャンした別のバイトの穴埋めに来てたクソボケ上司のセクハラにキレて辞めた挙げ句にクソボケ上司が他店舗の余罪含めて処分されて謹慎くらって人手が足りない中でめちゃくちゃ頑張ってセールの仕込みやって、有能女子大生がやってくれてた夏用のPOP作りと飾りつけで徹夜して、セールやりながら補充のバイト面接やって接客苦手な昼パートのおばちゃんのフォローしながらレジやって、売り上げ落ちてるってマネージャーにグチグチ言われながら新人バイトを仕込んでやっと有休取って、ガンガン釣った魚が焼けるの待ちながらキンキンに冷えた酒飲んで感じる味ってこと!」

「いや、長ぇし。一言で」

「親友と飲む酒、最高ー!」

 石原は缶を握った手を空へ突き上げた。六山は半ば呆れたような笑みでよく焼けたイワナを指差す。
 
「よっぽどストレス溜まってんのな。まあ、食えよ」

「食うよ! いただきます!」

 がふっとイワナの背に食らいつく。

 ぱりっと焼けた皮に多めにまぶされた塩は、ふっくらとした身を噛みしめるたびに脂の甘味と旨味と溶け合い喉を落ちていく。香ばしい後味に満ちた口の中へレモンチューハイを流し込む。

「うっま! やっべえ、もう美味すぎて魂抜ける!」

「生き返ったり死んだり忙しいな」

「忙しいよ、ほんと忙しい。もう永遠にここで魚食っていたいぐらい忙しい!」

「意味わかんねえ」

「理解はいらない。感じてくれ、この感動と喜びを!」

「そういえばオレさー、彼女出来た」

 紙皿の上に置いた焼き立てイワナから割り箸で器用に骨を抜いている六山を、石原は凝視した。

 開放感と爽快さで満たされていた自由な世界に、現実へ繋がる無粋な穴を開けられたような気分だった。

「は? なんで? 引きこもりのくせにどこで出会いがあんの?」

「引きこもりじゃねえ。必要ないから出ないだけ。きっかけはゲームかな。ギルメンとオフしたら付き合う事になった」

「え、いつ? 今まで何も言ってなかったよな?」

「一昨日。旭とは今日の用意のやり取りしてたから言うタイミングなかった」

「へー」

 羨ましい。ぽろりと出そうになったその一言をイワナと一緒に飲み込んだ。羨望は六山が最も鬱陶しがる感情だ。だが、正直言って羨ましい。

 六山は親が持っているいくつもの不動産の一つであるマンションに住み、FXや株で優雅に稼ぎながらゲームを楽しむような暮らしをして彼女まで出来た。

 比べて自分は、使えない上司とプレッシャーしか与えてこないマネージャーに心身をすり減らされながら働かされ、プライベートの楽しみなど惰性でログインを続けているスマホゲーで目当てのキャラのSSRを引くために万札を溶かす事ぐらいだ。

 小学校から高校までは同じような人生を送っていたのに、二十五歳になったらこの格差。だが、親友に彼女が出来たとなれば、女友達を紹介してもらうチャンスかもしれない。

「どんな子? 年とか、雰囲気とかさ」

 座ったまま簡易チェアをずりずりと引きずって距離を詰めると、六山はスマホを出して画面を石原に向けた。

 映っていたのはゲームのプロフィール画面だ。彼女のアカウントのようだ。

 ニックネームはema、アイコンのイラストは顔が黒い煙のようになっていて、ゴシック風のゴテゴテと花やレースで飾られた黒い帽子と黒いドレスを着ている。

 プロフィール欄は『成人済み、イン率低下中』という二言だけ。

 第一印象はちょっと地雷っぽい。



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