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【現代ホラー異聞録 山神の血印 ~おはなしの集う山~】(9話目/全10話)

異変 3

「放せよ、なんだよ、邪魔するなよぉ」

「死にたいのか?」

 疲れ果ててうんざりしたような声に聞き覚えがあった。萩沢の声だ。

 振り返ると、白いタオルを頭に巻いて、くたびれてボロボロの作務衣を着た男が、無精髭の生えた不機嫌そうな顔で石原を睨んでいた。

「なんで?」

 石原はなんでここに萩沢がいるのかと思い、ここはどこなんだと思った。

 萩沢は石原の首を掴んだまま人々の輪を指さした。

「あいつらがどこに座っているか見えるか?」

 そう言われて良く見ると、輪がある地面は赤っぽくてぬらぬらと濡れ光っている。

 輪の外へ続くその気味の悪い地面の先には口があった。

 ぶよぶよと皮膚が垂れた巨大な顔があんぐりと大きく口を開けていて、その伸ばされた舌の上で人々は話し続けている。

 巨大な顔はニコニコと笑っている。七福神の大黒様のような笑みだ。見た瞬間は気味が悪いと思ったのに、その笑顔を見ているうちにあの輪の中で話をしている人々が楽しそうに見えて羨ましくなった。

「あれ、俺も行っていいんだろ? 俺は印があるんだから、行かなきゃ」

 そわそわしながら萩沢に聞くと、萩沢は諦めたような顔でため息をついた。

「行きたいのか?」

「うん」

「行きたいなら勝手にしろ。だがな、お前のその印は自分で入れたんだろ? 印を入れるのは宮司の仕事だ。お前は宮司か? 違うよな? だからそれは偽物だ。お前にはあの輪に入る資格はない」

 萩沢の言葉に石原はひどくショックを受けた。

「何でだよ! 俺はっ」

「でかい声を出すな」

 萩沢の手で口を塞がれた。

「いいか、よく聞け。お前は宮司じゃ無いが、俺は宮司だ。だから本物の印をお前につけてやることが出来る。お前は印が欲しいんだな?」

 石原は頷いた。

「よし、では俺が印をつけてやる。いいか、騒ぐなよ、俺の言葉をしっかりとよく聞かないと印は与えないぞ。俺の言葉を受け入れるなら頷け」

 石原が頷くと口から手が離れた。

 萩沢は石原を抑え込むように左腕を胴に回し、真っ直ぐに伸ばした右の人差し指と中指を石原の胸の真ん中に突きつける。

 周囲を漂っていた白い霧が濃くなった気がした。

「あまてらすすめおほみかみのたまわくひとはすなはちあめのしたのかみなりすべからくしづめしづまることをつかさどるこころはすなはちかみとかみとのもとたりこころのかみをいたましむることなかれこのゆへにめにもろもろのけがれをみてこころにもろもろのけがれをみず」

 萩沢は、地の底から轟く地鳴りのような低い声で、わけのわからないことをものすごい早口で言い始めた。石原は戸惑いながらもその声に聞き入った。

 何を言っているのかはわからないが、聞いているうちに頭がすっきりと冴えていく感覚があった。しかし同時に体中あちこちから凄まじい痛みが襲ってきた。

「いってぇえええっ! 痛いっ! いてえよ、なにっ? なんでっ?」

 もがく石原を萩沢は左腕一本で拘束したまま、延々と意味不明な言葉を言い続けた。

「よろづのもののたまとおなじすがたなるがゆへになすところのねがひとしてならずいふことなしうへなきみたからかむみちのかじり」

 最後にそう言って胸に当てていた指で喉、口、額を順に突く。そのたびに体中の痛みが増した。

 石原はあまりの痛みで気が遠くなりそうだったが、萩沢に揺さぶられた。

「おい、しっかりしろ。もう一度聞くぞ、お前はあの輪の中に入りたいか?」

 頭を押されて見せられた眼下の光景に、石原は痛みに呻きながら首を横に振った。ニタニタと笑う化け物も、あんな姿でぼそぼそとしゃべり続ける人達も気持ち悪かった。

「嫌だ、なんだよ、あれ、嫌だよ、ここどこだよ、痛えよ、病院、連れてってください」

 泣きながら訴える石原に、萩沢は太いため息をついてぶっきらぼうに言った。

「心配するな、お前の体は今ごろ病院に運ばれている。モモコ、腕をよこせ」

 白い犬が石原の足元に置いた物を見て石原は呻いた。

「ひぃっ! あ、あぁ? 手、俺の手っ! なんで!」

 手首の先が千切れた自分の右腕と、子供の手が生えた右手を見比べ、記憶が繋がった。

 自分で千切ったのだと自覚し、自分がおかしくなっていたことに気づいた。

「あぁあああっ、嘘だろ、え、俺、俺死んだ? 死んだのかっ?」

「まだ生きてる。死にたくないなら俺の言う事を聞け」

「だって、あんたの言う事聞いたらこうなったんじゃねえかっ、嘘つきやがって」

「悪かった。六山勇郎の始末をやりそこなったんだ。あの時点では影響はないはずだったんだ。後で幾らでも謝ってやるから、今は俺の言う事を聞け。出来ないならアレの仲間入りだぞ」

「なんだよ、それ、わけわかんねえよ」

 しかしとにかくアレの仲間になるのだけは嫌だ。死にたくもない。

「助けてください、家に帰りたい」

「命は助けてやれるが、右手は諦めろ。いいな?」

 石原は頷いた。とにかくこの痛みとわけのわからない状況から解放されたかった。

「石原、一番頼れるものはなんだ?」

「は?」

「助かりたいなら素直に考えろ。お前の人生で一番頼りになる大事なものだ。それがお前をここから助け出してくれる」

 反射的に頭に浮かんだのは幼い頃の六山勇郎だった。

 石原は右手から生えている腕を見た。

 そこからあの頃の六山勇郎が出てきて、あの変な化け物を踏み潰して石原の手を引いて家に帰してくれる。

 想像すると、まるで石原の考えに応えるように腕が空を掴み、肩が現れ、首と頭に続いて左腕と胴、足が抜け出て、幼い頃の六山勇郎が現れた。

 だが、それは石原達を見下ろす程に大きかった。あの山で出会った瑛茉と同じくらいの大きさだ。

 六山の姿をしたそれは無表情に石原と萩沢を見下ろし、無造作に両手を伸ばして石原と萩沢を掴んだ。

 石原は握り潰されると思ったが、萩沢は動じていない。

 大丈夫なのかもしれない。そう思ったのだが、じいっと石原と萩沢を見ていた六山の目鼻がどろりと溶けて黒い穴が開いた。

 悲鳴を上げかけた石原の口に萩沢がタオルを突っ込んだ。口の傷を圧迫された痛みと窒息しそうな苦しさと、目の前に迫ってくる黒い穴が開いた顔への恐怖で石原は死に物狂いで暴れたが、六山に掴まれている上に萩沢にも羽交い締めにされて逃げようがなかった。

 また騙されたと思ったが、どうすることもできない。

 六山が顔に空いた穴に石原と萩沢を押し込んだ。まるで巨大な生き物の口に丸飲みにされたように体は奥へ吸い込まれていった。全身を包む生臭さと生温かさに気が狂いそうだった。

 どこか遠くで犬が吠える声がした。

 石原は、さっき自分を噛んで運んだ犬を思い出した。

 すると全身の圧迫感が消えた。

 目を開けると白い天井が見えた。周囲を囲む薄緑色のカーテンも見えた。慌てたように身を乗り出してきた母親の顔も見えた。

「旭! 旭、わかる? お母さんだよ、旭!」

 石原は重苦しい痛みで軋む体の感覚に安堵した。悪夢は終わったようだ。わけがわからないが、生きている。

 母親はぽろぽろと泣きながら石原の右肩をさすった。

「良かった、生きててくれればいいからね、良かったよ、本当に」

 石原は子供の頃のように、怪我してごめんなさいと謝りたくなった。

 しかし喉が乾きすぎて声は出ず、口を動かそうとするだけで酷い痛みに襲われた。

 何も言えないまま、涙ぐんで母親を見上げる事しか出来ない自分が情けなかった。

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