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【現代ホラー異聞録 山神の血印 ~おはなしの集う山~】(5話目/全10話)

山の怪 5

「どうした?」

 振り返った六山は不思議そうな顔だ。気がついていない? そんなバカな、どう見てもおかしいだろ。石原はそう思った。

「ちょっ、あの、それっ!」

「どうしたのー?」

 朗らかで愛らしい声が頭上から降ってくる。瑛茉の影が石原を覆う。本能が全力で逃げろと警報を出した。

「勇郎っ!」

 反射的に勇郎の腕を掴んで走り出そうとしたが、ほんの数歩引っ張った所で勇郎が足を踏ん張り、逆に石原のシャツを掴んで引き止めた。

「なんだよ、どうした? ごめんな、ちょっと待って」

 不安そうに石原と瑛茉へ声をかける六山は、巨大な瑛茉になんの違和感もないようだ。

「ちょっ、おま、あの、あれっ、ダメっ!」

「なに? 蜂でもいた? 急に動くと追いかけられるぞ」

 周囲を見回す六山の背後で瑛茉は更に大きくなっていた。体全体が横に膨らんでいる。服が白いぶよぶよとした肉に食い込んで今にも弾け飛びそうだ。

「えー、蜂ー? やだなあ、わたしも苦手ー。だからほら、白のワンピ着てるの。石原くんも白いの着るといいよ。あ、キャップ貸そうか? このワンピ、フードついてるからわたしは大丈夫だから」

 分厚く大きな手が白いキャップをつまんで石原の頭上に差し出してくる。

 被せるつもりなのかもしれないが、捕まえようとしているように思えた。足が竦んで動けない石原の頭に、ぱさ、と白いキャップが置かれた。帽子から、東南アジア系の雑貨屋のような匂いがした。

「わー、似合うー」

 ぐっと屈み込んできた瑛茉の目が異常に大きく見開かれ、石原の視界を占領する。

 黒い瞳孔の周りでぐねぐねと蠢くものが見える。放射線状の虹彩が動いているのかと思ったが、よく見たらそれは縦に細長く引き伸ばされた人間達だった。

 手足がなく、胴体と頭だけの人々が左右の人とぴったりとくっついて窮屈そうに身をよじっている。無数の人間が幾重にも輪になって瑛茉の目の中で苦悶している。

 石原はその場にへたり込みそうなほど足が震えて動けなかった。六山のポケットから着信音が鳴った。取り出したスマホの画面を見た六山は、さらに不安そうな顔をした。

 着信画面には『萩沢』と表示されていた。

「はい、六山です。えっ、瑛茉さんが? いや、でも今一緒にいるんですが」

 巨大な瑛茉の目から芋虫のように蠢きながら人々が溢れ出てきた。

 六山が青ざめた顔で呆然と瑛茉を見上げた。

「瑛茉さん、萩沢さんが、瑛茉さんが死んだって言ってるけど」

 這い出てきた人々が六山に絡みつこうとしていた。石原は六山が化け物達の渦に飲み込まれてしまうと思った。

 今すぐ家に帰れと怒鳴る男の声がスマホから聞こえた。どこか遠くで吠える犬の声も聞こえた。その瞬間、石原の体が動き、声も出た。

「バカ! 勇郎、走れ! それおまえの彼女じゃねえよ! 化け物だ!」

 石原は渾身の力で六山の腕を引いて走り出した。六山は今度は逆らわなかった。

 無我夢中で走るうちに、石原が引っ張っていたはずの六山はいつの間にか前を走っていた。

 置いてくなよ! と石原が叫んだら、急げと怒鳴り返された。二人は競うように走って山を下りた。停めてあった車に六山が先に飛び乗り、エンジンをかけた。石原は六山が助手席のドアを開けたタイミングで追いついて飛び乗った。同時に車は猛スピードで走りだし、石原は慌ててドアを閉めた。

 石原は、荒い息を整えながら尻の下から聞こえる犬の声に驚いたが、六山のスマホだと気づいて手に取った。

「おい、聞こえてるか、いまどこだ?」

 男の声が聞こえた。六山がスマホを見て何か話そうとした。石原はスピーカーに切り替えてスマホを六山へ向けた。

「さっき、あの、イワナを、瑛茉さんに渡そうとして、それで途中で瑛茉さんに会ったら、石原が、友達が変になって、ショウヨウセンがハラまれていたので、あぷででれいどが、ククナチのミノベあるか? むにえるは簡単、だからあさひごめん、おとうさんはまだ、やまさいぐなって」

 六山がはっとしたように自分の口を塞ぎ、ひどく怯えた目で石原を見た。

 石原は信じられない思いで六山を凝視した。六山の声に、途中から何人もの声が入り混じったように聞こえた。

 スマホから男のため息が聞こえた。六山は何度も何かを言おうとしては怯えたように唇を噛みしめてやめた。

「家にいろ、始末をつけるまで絶対に外へ出るな」

 スマホから聞こえた声に、六山は血の気の失せた顔で頷いた。

 どういうことだ? 何が起きてるんだ? 石原は六山に聞きたかったが、六山はいまにも倒れそうな顔色でひたすら前を見て車を飛ばしていた。下手に話しかけてカーブにでも突っ込まれたらと思うと石原は何も言えなかった。

 家に着くと、六山はふらふらとした足取りで家に入って行った。

 石原は呼び止めるのも近寄るのも怖くて見ているだけだった。

 六山の姿が玄関の中へ消えて、石原はスマホがまだ繋がっていると気づいた。ためらいながらも救いを求める思いで言った。

「あ、あの、は、萩沢さん、ですか?」

「誰だ?」

「友達です、あの、六山勇郎の友人で、石原といいます。六山はどうしたんですか? あいつ、なんか様子が変で」

「君もうちの山に入ったか?」

「はい」

「君の家はどこだ?」

「え、あの、近所です。勇郎の家の近くで」

「ご両親はこの地域の出身か?」

 なぜそんな事を聞くのかと聞きたかったが、萩沢の有無を言わせぬ語調に気圧されて聞けなかった。

「えっと、親父は、俺が生まれた頃に家買って越してきたって言ってました」

「家を買ったのは生まれる前か? 後か?」

「え、たぶん、前? かな。赤ん坊の時に実家で撮った写真とかあったし」

「君は今もそこに住んでいるのか?」

「いや、里帰りしてるから、住んでるのはアパートで」

 市街地の地名を告げると、萩沢は黙った。石原は不安になった。

「あの、なんかまずいですか? 俺もなんか変になりますか?」

「わからない。念の為、山に入った時に身に着けていた物と持っていた物は全部燃やすか水に沈めるかしてくれ」

「え? あの、スマホも?」

 微かに舌打ちの音が聞こえた。

「命よりスマホが大事ならそのまま持っていればいい」

「や、そういうわけじゃないですけど、なんで? あの、説明っていうか、意味っていうかそれ教えてくれたら」

 苛立ったような声で遮られた。

「勇郎君は家に入ったか?」

「あ、はい」

「私は勇郎君を助けるためにやることがある。君はアパートに帰りなさい。当分ここには来るな」

 通話が切れた。

 説明は? と思ったが、かけ直す勇気はなかった。

 勇郎にスマホを返してから帰ろう。そう思った石原は、そっと玄関を開けてシンと静まり返った家の中へ声をかけた。

「勇郎、スマホ、ここに置いとくからな。萩沢さんが、俺はアパートに帰れっていうから、行くけど、……大丈夫か?」

 返事はなかった。

 膝立ちで少しだけ廊下に上がると、すぐ右側にあるリビングの床に座り込んだ勇郎の背中が見えた。
 
「勇郎?」

 早く帰りたい。だが、このまま放っておいていいのか? せめて何か一言、まともな返事をして欲しいと思った。

「あのさ、おじさんとおばさんは? 今日は出かけてんのか?」

「まざってくる」

「え?」

 幾重にも声が重なっている。男なのか女なのか、子供なのか年寄りなのかもよくわからない歪な声だった。

「みんなではなしをする」

 石原は玄関へと後退る。恐怖で心臓が握り潰されるような気がした。必死でなんでもないように言った。

「そ、そっか。おじさんも萩沢さんのこと知ってるんだよな。だから、大丈夫だよな。相談して解決できるんだよな?」

「みんなではなしをすればおかえりなさる。はなれてはいけない。おいかけてきた。てもあしもいらない。じゅんばんどおり」

 玄関から飛び出す寸前、はっきりと一人分の女の声がした。

「いさおくんごめんね」

 石原は瑛茉の声だと思った。思わず振り返った。

 六山がかくんと首を曲げたままリビングの戸口から石原を見ていた。

 六山の顔に瑛茉の顔のパーツがあった。生まれつき四つの目と二つの鼻と二つの口が顔中にでたらめに散乱していたかのように、二人分の顔のパーツが六山の顔にあった。

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