生きること、学ぶこと
(問い)問いの構造化とは?
〜問いづくりの実践と構造化について〜
なぜ、問いはイノベーション思考を促すのか?
私たちが生きていくことは、自らに問いを立てていくことです。「生徒も教師も楽しめる問いづくりの実践」(柞磨昭孝著)には、問いづくりを通してどのようにして学びの本質に迫るのかが描かれています。生徒も、教師も、そして社会人も楽しめる問いづくりの物語です。
問いの構造化と学びのフレームワークの構築を立体的な道具立てとした新鮮で厚みのある問いづくりの論考です。
すべての生徒に本当の学びに出会って欲しいという著者の願いがあります。 構造化された問いを学びのフェーズで価値づける論理構築には曼荼羅の世界のように複雑な思考と深い経験が必要です。一つひとつを読み解くのは、思考力と想像力の質と幅を問われますがそれは読者の喜びでもあります。
「私は学びというものは生徒や学生の勇気や生きる意欲の源となることが、最も大切なことだと思っています。学びの真髄には人と人が他者のためにつながることができる大切なものがあります。」優しさが滲みでてくることばです。
問いのシークエンスで構成された授業デザインの挑戦は教師にとってはタフですが楽しい活動です。問いづくりが日常となるまで鍛錬することが求められます。「教師はことばの定義を曖昧にしたまま使うことが多いことを反省すべきである。鍛えられていないことばや想像力の見えないことばは生徒の心を動かすことはない。」自らを戒める著者のことばは、そのまま学びの重要な要素を想起させます。これを読み解くことでプロフェッショナルな仕事の全体像が見えてきます。
他者性からスタートする学び
大切にするものはまず他者性です。「学びは他者性を認識することからスタートします。」「(学ぶことの)究極は、それぞれの人が創造的に生きることであり、それが主体的ということでもあり、他者や社会とつながることでもある。私が「他者性」という言葉で代表して表現している、「異質なもの、拮抗する概念、不条理」などがある。それは一見生きることを困難にする要素に思えるが、自分の可能性を拓くものとして働く重要なものであり、それが学びを豊かにする。他者とかかわり合うという関係性における価値判断を求める。(学びは)、共感や葛藤の中で行われ、矛盾を乗り越えた意思決定となることが多い。そのプロセスを経て「状況とかかわる力」が育ち、アイデンティティが成長し、人として成熟する。異質なもの、矛盾や相反する価値観で構成された中で、葛藤に導かれ成長し、真の強さを獲得するものである。」
想像力を生み出す注意深い観察
ガストン・バシュラールは想像力について「想像力とはイメージを形成する能力だとしているが、想像力とはむしろ知覚によって提供されたイメージを歪形する能力であり、それはわけても基本的イメージからわれわれを解放し、イメージを変える能力なのだ。イメージの変化、イメージの思いがけない結合がなければ、想像力はなく、想像するという行動はない。」と言います。想像力を高めるのは注意深く観察することです。「学問を正しく教えるには、すべて中心から出発して外辺へと向かう。想像的文章と論証的文章のちがいが本当にわからないまま大人になっている人が沢山いる。通いなれた思考の軌道しか通らない手垢のついたことばに埋没しないように教師は注意ぶかくなければならない。」
論点を生み出す「転」「破」
学びを掘り下げ、深めるためには論点が必要です。そもそも問いができるのは問題意識や違和感(観察によって生まれる)があるからですが、学びに応じてその論点(観点、視点)をずらしていくことも必要になります。「生徒に洞察を促すために教師は「転」の問いを発します。(「にもかかわらず〜なのはどうしてか」)思いがけない結合を授業では「転」「破」に相当するものとして捉える。これがないと、情熱が内部から湧き出るといったことを期待できない。知識化されたもの、予定調和で進んでいくものには、その人しか持ち得ない生命の息吹を生むことはできない。」
究極の問いは「「あなたならどうするか」を示せること、「So what? (だから何なの?)」 と問われたときに自分の考え方を明確にできるようになることです。」
著者には「問いが高める学びの質―生徒の主体性を引き出すためにー」(日本教育新聞:20回の連載)の論考があり、本書の問いづくりの概要―問いのタイプと内容のもとになっています。「本質とは、物事の核心部分で存在意義の源となるもの、考えや概念を根底から支えているもの。本書はそれを基点として本質的な問いについて考えます。しかし、本質的な問いは総じて大きな問いになりやすく、答えることが容易ではありません。そこで、本質的に迫る働きを持った問いを考え、それを本質的な問いとして扱うことにします。たとえば、存在意義に焦点を当てた「そもそも〇〇にはどんな意味があるのだろうか?」のような問いは、本質を捉えようとする働きをもった問いだといえます。」社会人の読者にとっても響くことばです。
導入、展開、洞察、本質の問いという基本構造をいかに活用するか。
本書は問いの構造化の探究が中心のテーマの一つです。自然や社会の摂理、混沌とした人間社会、歴史、未来への展望などの対象に向かったときに問いが形成される経験、発見、矛盾、価値、想像、創造など多くの要素から成る基本的な構造を発見できれば、学びにより真正な意味を与えることができます。問いの構造を理解して学びのプロセスに活用することで多様な授業デザインが可能になるのです。
what, why, howの3次元の問いのセット構造は、学習対象との相対化が可能となり、動的な学びが実現できます。未来思考のifや新たな価値を生み出すif notの構造はまさにレトリカルシンキングで大切な仮説の思考です。学びのフェーズでの導入、展開、洞察、本質の問いという基本構造ですが、深化・拡張領域では「本当にそうなのか?」「そもそも何故そうなのか?」という問いです。洞察領域では新しい観点や意味づけを生む「転」としての問いがあってこそ学びは深まります。これが「問いが立つ」ということです、と言います。本質領域では「So what? (だから何なのか?)」「あなたにとってどのような価値があるのか?」という本質に迫る問いが生まれます。「本質は個々の事物・事象にあるのではなく、それらが織りなす流れの中にあることが多く、そのためテーマに基づいて内容をストーリー化しながら、全体像を把握することが必要です。」導入、展開、洞察、本質という問いの流れの構造をつくることが大切です。
学びのフレーム構成と各フレームのテーマを想定した上で、本質的な問いから派生する展開の問いを配置していきます。導入から本質に至る問いの流れの構造が生きてきます。本書には多くの事例がありますので、読者自身がフレーム構成を考えて問いを立てるのも楽しい作業です。「素数ゼミ」の問題など自然の神秘への関心から学びにリアリティが持ち込まれます。
最後に、まとめとして著者の次のことばを記憶したいと思います。
「大切なことは、学びの主体として学習の対象となる物事に関わっていることです。すなわち自我関与です。どうしたら自我関与の高い学びが実現できるのか。それが問いを立てることです。「君は誰なのか?」という問いを自分自身に投げかけて、ひたすらの願いを感じるとき、「彼ら」と「我ら」の障壁が遂に崩れ落ちる可能性がはじめて感じられ、生存への希望がはじめてほのかに見えだすのではないだろうか、というマサオミヨシのことばは、自我を囲っている、恐れや見栄や損得勘定などといった壁を切り崩す根源的な問いだと思います。自分の生き方を問う、心に突き刺さる問いです。ランボーの「敵」という詩にある、洪水がいろいろなものを流し去った後に、ただ一つ残る果実。それが本質で、それが人と人をつなぐ希望だと思います。」
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?