ron870

生きること、学ぶこと、読書を通じて、 自問する。

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最近の記事

生きること、学ぶこと

大学の役割は研究と教育と考えていたが 〜学生の教育は副次的な重要性しか持たない〜 学問の研究が、大学にとっての第一義的な意味を持つ。学生の教育は、副次的な重要性しか持たないことを強調しておく。ジョン・デューイのリベラリズムの流れを汲むソーステン・ヴェブレンや宇沢弘文の考え方である。(学校教育については、デューイ「学校教育と民主主義」は対照的な考えである。) 宇沢の晩年のゼミ生であった松島齊「サステナビリティの経済哲学」は、ゲーム理論と情報系経済による「コモンズの悲劇」の

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      「生きた知識」を鍛えるとは これからの社会では、生成AIを使いこなせる人と使えない人の分断が起きる。そのこと以上に危険なのは、AIの時代に、乳幼児のように自らを世界に接地させ、概念を抽象化して記号接地できる人と、それをAIに任せて依存してしまう人との間の分断である。 AI依存が習慣化して、探求し続ける人間の姿が失われていくことである。 今井むつみの「学力喪失」を読む。 ICEアプローチは知識の習得のプロセスで「つながり」を重視する。探索や推論を通してコネクションしていく

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        藤井聡太はなぜAIメソッドを使わないのか? 〜批判的思考を強めることがAIに対抗できる〜 伊藤匠との叡王戦で藤井聡太がAIメソッドを使わなかったことに興味がある。 ChatGPTが新境地を開拓する可能性は低い。そして、それが私たちを内省して現状に疑問を投げかけるようになるとは考えにくい、さらに現状に挑戦したりする可能性は低い。 それは、新規性や関連性は、大規模な言語モデルが採掘するような、過去に頻繁に出現したフレーズから生まれるものではないから。新規性と関連性は、どの

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          OpenAI CEO のサム・アルトマンの『知能の時代(The Intelligence Age)』 OpenAIのサム・アルトマンの記事を読みましたか。『知能の時代(The Intelligence Age)』aiとヒューマノイドが本当にすごい加速をしています。社会は変わります。私たちはどう考えたら良いのでしょうか。 要所です。 私たちの能力が向上したのは遺伝的な変化によるものではなく、社会のインフラストラクチャーが私たち個人よりもはるかに賢く、能力が高くなったことの

        生きること、学ぶこと

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          一方的な「主体」とは? 〜ジュディス・バトラーに学ぶ〜 ジュディス・バトラーは、「生のあやうさ」の中で、米国の他者へ対する攻撃的な一国主義を批判する。2001年9月11日のNYへのテロへの報復として、アフガニスタンを空撃したブッシュ米国政府によって、他者から自己防衛するための暴力をよしとするような考えが生まれてしまった。 国家を武力で守ることは当然という考え方が生まれてしまった。 そもそも、なぜ9.11が起きたのかという幅広い考察を封じ込めてしまった。テロ行為を可能にし

          生きること、学ぶこと

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          ICEアプローチをビジネスで活用する ICEアプローチは学習と評価が一体となった学習方法である。教師と生徒の関係を、ビジネスにおけるコンサルタントと企業経営者の関係に置き換えてICEがどのように活用できるかを考える。 なぜ、そう考えたのか? 学校の学びとビジネスでの実践は共通したフレームワークがあるからです。 Rubric目標設定ーIdeas基礎学習(基本的情報の収集)ーConnections(分析・統合・類数などを通した計画と実践)ーExtensions拡張(事業

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          生きること、学ぶこと

          使える英語を身につける方法 「インセンティブと意欲」があれば、できないことはない。と言いつつも、使える英語を身につける方法を学ぶと、それは有利である。 語学の教育機関としてNo1と言われているユタ州にあるブリガムヤング大学と併設されている聖徒末日イエスキリスト教の語学研修センターがある。世界のあらゆる言語を習得しなければ布教活動などできない。例えば、日本語は9週間で、日本人が聞いても全く違和感のない完璧な日本語が身に付く。これは門外不出の方法であって、公開されていない。

          生きること、学ぶこと

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          人間の生きることの豊かさ(well-being)とリベラルアーツについて 〜可能力(ケイパビリティ)とは何か?〜 「飢餓(Famine)の真の原因は、食料不足、人口が多い、輸送・配分の問題の、これら3つのどれでもない。」(松井範惇) そこで、松井はEntitlement  と Capabilityの新しい日本語訳を提唱した。 それらの基盤にリベラルアーツの考えがある。 どう言うことだろう? 今日は、「大学入試・授業のリベラルアーツ革命」(松井)を通して、そのことを考

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          生きること、学ぶこと

          アーレントの洞察と未来透視力 全体主義的社会への危険とウクライナとロシアの戦争 〜政治的真理を語るロズニツァとアーレントの「真理と政治」〜 ウクライナとロシアの戦争の、それぞれのプロパガンダを聞きながら、「真理と政治」を書いたハンナ・アーレントを読み返して気づいた「真理」とは何かについて考えたのが重田園江「真理の語り手」である。その中心にウクライナの映画監督ロズニツァを真理の語り手として置く。 梗概である。 ロズニツァとアーレントとを結びつけたものは、ソ連時代の、集団

          生きること、学ぶこと

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          人間の歴史=男性の歴史ということへの無自覚性について ショッキングである。無自覚であることへの衝撃である、女性の社会的不平等という視点でのみ、フェミニズムを考えてきたことへの無自覚性は、一体なぜなのだろう。 狩猟時代も、男は狩をして、女は料理する。主に生物学的、身体的理由からと考える。生殖機能から女は育児をすると考える。身体的にはそうした区分がされない賃金労働の現代の仕事になっても、男性は外で働き、女性は家庭を守る。子供がいれば、子育て、料理などの家庭のケアを行いつつ働く

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          聖徳太子が日本の民主主義の一歩とは? アマルティア・センは、開かれた「公共の論理」を、民主主義の条件として置く。「人間の安全保障」(センのエッセイを集めたもの:東郷えりか訳)を読む。 センの「エンタイトルメント」と「ケイパビリティ」については、センと交友の深い松井範惇から、全ての人が持っている能力を引き出す機会や可能力であることを学んだが、ここにも、センのその考えがある。 いくつかの論点があるが、人が人らしく生きることができること、生きにくさを生じさせる社会的障害を取り

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          生きること、学ぶこと

          しびれとはどんな感じ? 抹消神経が自己免疫障害でやられる難病がある。症状として、身体のいたるところにしびれが出る。しびれの状態について医師から質問される。 さて、ここからが問題である。 しびれをどのように言葉で表現するか? ピリピリする。ビリビリする。シャワシャワする。ザラザラする。締め付けられる。痛い。どんよりする。ぐったりする。重たい。 どれも患者が使うことばである。しかし自分の感じていることが伝わることはほとんどないだろう。 そこで考える。 例えば、手のひ

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          DXと日本社会   〜全体を見る眼で、日本の社会を見通し、考える〜   むすびに  2018 年9 月、経産省の『DX レポート ~IT システム「2025 年の崖」克服とDX の本格的な展開~』から 6 年が経ったが、未だトランスフォーメーションは起きていないという報告が2024年のIPA「DX 動向2024年」 である。デジタル化や生産性の向上などをDXとするなら、一定の成果を得ているが、いわゆる、新しい価値創出という意味でのDXはほとんどできていない。大手組織で2

          生きること、学ぶこと

          生きること、学ぶこと

          日本のリカレント教育を実質的にするために? なぜ、日本では生涯教育が実質化しないのか? 人生100年時代へ向けて、私たち個人としての意識改革が重要である。同時に国、大学、企業の社会側での改革や環境づくりの問題がある。世の中では、リカレントと言いながらリスキリングに偏っているのが現実である。 「リカレント教育」は、学校教育を、人々の生涯にわたって、分散させようとするもの、つまり人間は学び続けるものという考えの中にある。本来の意味は、「職業上必要な知識・技術」を修得するため

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          DXと日本社会    〜全体を見る眼で、日本の社会を見通し、考える〜  (2)  ICT教育の歴史と展望     ICT教育の課題と展望?   ICT教育に潜むグローバルな問題は「第四次産業革命と教育の未来 ポストコロナ時代のICT教育」(*1)佐藤学)が詳しく記述しているので長くなるが引用する。   コロナ禍を契機としてグローバルなデジタル化により、教育の産業化が一気に進んだ。今や教育はビッグビジネスになっている。「人材=人材投資」になっているという重大な指摘である。

          生きること、学ぶこと

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          日本文化の「斜め嫌い」について ケニアを参与観察の拠点とした文化人類学者の小馬徹の論考を読む。おそらくレヴィ=ストロースや川田順造の系譜にいるのかと思うが、小馬の書くものは、我々のような文化人類学の素人にも面白いテーマが多い。 「ユーミンとマクベス: 日照り雨=狐の嫁入りの文化人類学」「カネと人生」「贈り物と交換の文化人類学」など。 本論の「日本文化の「斜め嫌い」再考」も、その一つであって、梅棹忠夫、多田道太郎、上田篤、西川幸治が共同で考えた仮説に対して真っ向から挑むも

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