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生きること、学ぶこと


日本文化の「斜め嫌い」について



ケニアを参与観察の拠点とした文化人類学者の小馬徹の論考を読む。おそらくレヴィ=ストロースや川田順造の系譜にいるのかと思うが、小馬の書くものは、我々のような文化人類学の素人にも面白いテーマが多い。

「ユーミンとマクベス: 日照り雨=狐の嫁入りの文化人類学」「カネと人生」「贈り物と交換の文化人類学」など。

本論の「日本文化の「斜め嫌い」再考」も、その一つであって、梅棹忠夫、多田道太郎、上田篤、西川幸治が共同で考えた仮説に対して真っ向から挑むものである。

そもそもの文化人類学の生い立ちから考える。エドワード・サイードのオリエンタリズムの批判などがあって、文化人類学は、植民地主義と不可分な来歴を問い直される。文化概念によって、「意味付けるもの」と、「意味付けられるもの」との構造的な附置関係が問われる。教師と生徒の関係でもある。

さらにその「意味づけの意味」という、自己と他者の関係に不可避的に生じる政治性に関する根源的な問題がある。19世紀から20世紀に英国で生まれた文化人類学、参与観察の社会人類学の時代でも、文化はやはり重要な鍵であり続けた。

興味深いのは、アメリカに、なぜベネディクトのような文化人類学者が生まれたのかという問題である。欧州からの移民たちを支える精神的なものは宗教以外では「文化」の形を作ることであった。文化は不可視であり、行動しかわからない、文化は理論としてしか把握できない、それをかたち、パターンとして得ること。これをさらに抽象化すれば、configuration(文化的統合)として把握できる。これを価値として表現したものが、ethos(エートス)である。

このような文化は、文化相対主義の考えであり、一つの全体をなすものとしての文化である。そこに帰属している個人に染み渡っているものである。
アメリカの文化人類学は、アメリカナショナリズムとも無縁ではなかった。ハーレムの黒人たちも文化人類学に夢を託した。しかし、ここに両犠牲の盲点があった。つまり、多様性を抑圧する面があった。ナショナリズムは、国家とネーションとその領土を、超時間的な実在とみなし、内部の均質性と外部の差異の絶対性を主張する思想だからである。
 
文化は、「表象するもの」、「されるもの」という文化人類学を自明のものとして疑ってこなかったが、今や、「文化の自画像」をかかげて、文化を表象する人たちは多いのである。

ベネディクトの「菊と刀」では、日本文化を恥の文化と考える。梅棹忠夫たちは、日本人から見た文化論をベネディクトに影響され考察した。丸山眞男や加藤周一の日本民族文化論とは違って、工学的な物証も示した。

1960代、スクランブル交差点が日本にも導入される。しかし、斜めに渡るのはどうも抵抗がある。縦と横の組み合わせが日本文化である。道路も格子状で、放射線や斜めの道は作らなかった。三角形の敷地は忌み嫌われる。和裁の裁断も縦横だけ。傾城、アウトロー、三角法は和算にもなかった、三角法は想像力を必要とする。想像力を要するものは不得手であった。年功序列、縦横関係の組織など。

田園調布、国立、日吉はななめの街路持つ珍しい街並みである。日吉は一方通行が多い、田園調布や国立は駅から放射線になっている。日本人には慣れていない道行である。建築を見ても、筋交は幕末の開国前はなかった。
地震で法規制のために斜めのかすがいが入っても壁の表には出さない。家の中も直交が中心。船の運行も三角法を使わないので時間がかかる。和船の帆の構造は違う。斜に構える、はすに眺める、斜め読み、蓮っ葉など、外れものとして考えられる。

さて、この仮説は正しいのかと考えたのが小馬の再考である。

文化とは無意識なものでも、意識化させてコントロールできるものになる。教育などによって無意識的な水準まで内化させることができる。
アメリカがベネディクトのように文化を形にして 見える化したのは、移民国家としての成り行きであろう。アメリカのアイデンティティは社会よりも伝統にあった。日本の文化は、定住という形で社会が成り立ってきたので、その関係を確認する必要がある。果たして、斜め嫌いなのか。

レストランで食事の後、ナプキンをきちんと四角に折たたむ。欧米ではそのままにする。折るようなことは不味かったという意思表示になってしまう。
しかし、斜めが抑圧されたものばかりではないという事例もある。旧制七高の「北辰斜めに」は堂々とした斜めがある。折り紙遊びには斜めは必須である。

これらは無意識化されたものであろうか。そうではない。日本の和算は三角法を持ちいないでも世界に通用したもので、想像力がなかったわけではない。では、どういう人たちが斜め嫌いであったのか。

ベネディクトの思考形態で見ると、斜め嫌いの事例は、「行動の形」の分野である。梅棹忠夫たちの言及は、文化の一面にすぎない。かぶき、傾城、挟射とのちまた、と侠客をアウトローとして規定して良いのか。さらには、今のタテヨコと江戸時代の縦横とは同じではない。斜めの思考が近代主義にどのように通じていったのか不明である。今のタテヨコはは家族制度によるが江戸時代の縦横は正邪のことであり、邪は横であり斜めではない。斜めの危険思想という指摘はどこからくるのだろう。
山崎正和の指摘が面白い。斜めは、正邪に属さないマージナルなものではないか。日本のヒーローである、義経、一休、楠木正成をあげる。
将棋で角使いの名人、舛田幸三は大山の対抗として人気を得た。

斜めを積極的に評価してきた事例をここで考える。襷と襷掛けである。僧侶の袈裟も彼岸と此岸を繋ぐものである。

斜めの思考が嫌われたのは明治時代以降であり、それまでは意識・無意識の文化として日本にあったというのが結論である。

ユタにあるブリガムヤング大学は全米でもトップクラスであり、語学研修には力を入れる。渡部正和という言語学者がいる。渡部のメンターのエレノア・ジョーデンは、米国で優れた言語習得法を起こし、現在も大学で使われている。渡部には「英語がうまくなる法」という日本人向けの本がある。

その本の冒頭に簡単なテストがある。紙からペンを離さずに、9つの点を4本の直線で全部つなぐという問題である。日本人が英語が下手なのは、英語のパラダイムにシフトできないからである。解決のヒントは斜めである。









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