生きること、、学ぶこと
聖徳太子が日本の民主主義の一歩とは?
アマルティア・センは、開かれた「公共の論理」を、民主主義の条件として置く。「人間の安全保障」(センのエッセイを集めたもの:東郷えりか訳)を読む。
センの「エンタイトルメント」と「ケイパビリティ」については、センと交友の深い松井範惇から、全ての人が持っている能力を引き出す機会や可能力であることを学んだが、ここにも、センのその考えがある。
いくつかの論点があるが、人が人らしく生きることができること、生きにくさを生じさせる社会的障害を取り除くことを、「人間的発展」と称して、現代のような自然を崩壊して、人間社会を崩壊するようなGNPを基準に考えた一方的な経済的発展を止めなければならないと考える。
「公共の論理」は、民主主義が、ギリシャやローマで育ったというのは、極めて限定的な考えで、インド、中国、アジアにも民主主義はあったというセンの説明がとても斬新である。
民主主義とは、自由で公平な選挙に目がいくが、議論する場があることと、異論を退けない寛容性があることと考える。
そこに、十七条の憲法をあげる。かなりのリベラルなもので、600年後の英国のマグナカルタに似た精神がある。
「それ事は独り断むべからず。かならず衆とともに論うべし。」
「人の違うことを怒らざれ。人みな心あり。心あのあの執るところあり、彼是とすれば、即ちわれは非とする。われ是とすれば、即ち彼は非とする。」
中村元は日本の民主主義の第一歩という。
そうなのか?
グローバリズムについても、西洋に遠い、中国やインドでその起源がある。印刷、火薬、十進法など。世界で初の印刷物は、サンスクリット語の中国語への翻訳本である。
貧困問題から、人間的発展、基礎教育、人権、民主主義に、「エンタイトルメント」と「ケイパバリィティ」の思想を広げたエッセイ集である。
基礎教育の中で、女性のエンパワーメント力を上げる必要性が、人間の安全保障に強く繋がるという指摘が、今日的である。
米国大統領選挙のための討論で、カムラ・ハリスの、トランプに対して論じる姿が重なってこのnoteを書いている。一方で、日本の与野党のリーダーを決める内容のなさには、日本の文化的、政治的三流性、私たち自身の三流性を感じないわけにいかない。辛いことである。
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