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生きること、学ぶこと

(問い)日本人は本当に英語が下手なのか?


今回は語学教育から学ぶ大切なことを考えます。
 
「明治時代の日本人英語1世はアムハースト大学にその事実があるのだが英語のうまい民族であった。」日本人は決して英語習得が不得手ではない。にもかかわらず何故今、英語が下手な民族と言われるのかを考えてみると、いつの間にか、日本人の、日本人による、日本人のための英語になっていたことに思い至る。英語脳ができないような教育をしていることに原因がある。英語を英語として理解しなければ、英語ネィティブにはいつまでも違和感が残る英語しか使うことはできない。文化が通じる英語にはならない。いくら早い年齢から英語教育を始めても結果は変わらない。ブリガムヤング大学、言語学の教授であった渡部正和先生の考えです。

Mikuni international



 日本人の英語習得に壁があるのは、言語構造の違いや国民性(奥ゆかしい、思慮深い)にあるというステレオタイプの理由でなく、文字文化中心・能力主義認定制度という特質が、言語の秀でた人の言語習得能力を活かすようになっていないという指摘が新鮮です。さらに、英語習得は、「ことばの意味」「文法」の学びに偏っていて一番大切な要素である「文脈」での理解をこれまでの英語教育では全くと言っていいほど無視してきた。この「文脈」で考えるということが何より大切であると指摘します。

 渡部先生が、師であるエレノア・ジョーデン(イエール大学言語学、米国では日本語教育の神様と言われた)から学んだことは、「考えること*」を学ぶための言語習得である、ということです。(*瞬時の時に決断できるように考えている)

第一は、学習者中心の学びである。自分の能力を引き出す学びであり、自分で学んでいける能力をつけることにある。英語の3要素はモチベーション、正確さ、流暢さであるがこの3つは関係性があって、そのバランスを維持しながら成長しなければ上達しない。目標はネイティブに違和感のない英語である。教師は生徒の能力を引き出すために辛抱強く待つ。決して正解を言わない。

第二は、クリティカルシンキング、デープラーニング、クリエイティブラーニングの学修です。授業は終始質疑応答で進む。教師の質問が授業をつくる。さらには生徒の質問が授業を展開させる。教材が多様である。小説、評論、社説、TED Talk、政治スピーチ、映画、音楽、経済学、社会学、哲学、科学など社会に通じる分野でテーマを持つ授業である。対象のテーマに関して生徒のinsight(洞察)を執拗に求める。頭が疲れるぐらい。「あー、わかった、わかった、成る程そうか」「いや、なにかまだ疑問だ、もう少し考えよう」ということの繰り返しである。基本的なチップスは、Situation, Claim, Evidence, Logic, Assumption, Confrontationです。

第三は、文脈で学ぶことの重要性である。単語や文法を意識していては、英語は上達しない。単語や文章の一つひとつに意識があるとネイティブのスピードに追いつかないためにネイティブに違和感を与えてしまう。forward looking wayと言い、相手の話や文章の先を予測していくことができるようにならないとスピードは追いつかない。これは英語脳をつくるという作業でもある。

第四に、ユーモアやアレゴリーなど日本人に弱い思考が鍛えられる。即興で瞬時に自分の考えが表現できることは欧米文化には必須のことで日本人は慣れていない。比喩、類推、仮定、比較、ユーモアなどの表現も文脈で覚えていく。

第五に、シーンに応じて話すこと(すなわち聴くこと)の戦略を覚える。例えば、議論というシーンではpostulation, hypothesize, extrapolate, speculationが基本的なチップスになる。

 「英語習得のパラダイムシフト」である。今までの英語を覚えるという学びでは考えたことのない枠外へ出て問題解決を図る挑戦です。

ブリガムヤング大学の言語習得メソッドの要点です。

・言語は行儀作法と同じでどんなに教わってもだめ。自分で身に付けること
・自分で学びつづけるforceが必要であること
・翻訳しないでその言語で考える。その言語脳を作ること
・ネイティブスピードで学ぶこと
・look forward reading/ listening 常に先を想像して読む、きくこと
・わからない単語や言葉で止まらないこと
 
 渡部先生の問いです。「ロダンの考える人は、どこで考えていると思いますか?」頭のてっぺんから足のつま先までを使って考えている。言語学修も頭と心と身体の全部を使って考えるのではないでしょうか?


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